川内浦
川內浦
昭和初期のガイド文
千里ヶ浜の南に深く入り込んだ場所は「川内浦」と呼ばれており、良港として知られています。初めてポルトガル人が平戸に貿易拠点を開いて以降、ヨーロッパ諸国の人々が競って平戸を訪れるようになり、多数の船が寄港することになりました。しかし、平戸の港はその需要に対応しきれず、オランダ船やイギリス船は平戸で荷を降ろした後、この川内浦に停泊するようになりました。そのため、この浦にも居留地や倉庫が建設されました。浦から千里ヶ浜に通じる小さな丘は「丸山」と呼ばれています。貿易が盛んだった時代には、この場所は遊郭地として栄えていましたが、寛永18年(江戸時代、1641年)に貿易港が長崎に移された際、この遊郭も長崎へと移転し、現在の「長崎丸山」という名前の由来となりました。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 川内浦
- かな
- かわちうら
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 長崎県平戸市川内町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
千里ヶ濱の南深く彎入せるところを川内浦と稱し、良港である。初葡萄牙人が平戶に貿易場を開いてから、歐洲諸國人が爭うて平戶に來り、多數の船舶を寄泊せしめるに不便となつたので、蘭英船は平戶に上荷して、この川內浦に碇泊したため、居留地及倉庫がこの浦にも建てられたのである。浦から千里ヶ濱に通ずる一小丘を丸山と稱する。貿易の盛時には遊廓地であつたが、寛永十八年貿易港を長崎に移された際この遊廓も追從して移り、今の長崎丸山の名をなすに至つたのである。