紀三井寺

護國院(紀三井寺)[新義眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

紀三井寺駅の東約0.5km、紀三井村紀三井寺にあります。金剛宝寺と号し、西国三十三番観音の札所として名高いところです。山内に吉祥水があり、三井と称するので、近江の三井寺と区別するため紀の字を冠したのがついに寺号として俗称されることとなりました。寺域は山上景勝の地を占め、桜花の名所としても知られ、近くは眼下に和歌山市街を見下し、また新和歌浦の勝区を挟んで大洋に臨み、はるかに淡路および四国の連峰も見えることがあります。

この寺の由来は寺伝によると、奈良時代の宝亀元年(770年)為光上人が唐から渡来して開いたところと伝えています。後の平安時代の正暦年間(990~995年)花園天皇および鳥羽天皇の御幸あり、また後白河法皇の時には勅願所となり、古来上下の信仰厚く、安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)には桑山治部、浅野幸長らが堂宇を再建し、あるいは修理を加え、江戸時代には紀州侯徳川頼宜も深く帰依し、その後廃藩に至るまで代々国主の祈願所でした。現存諸堂宇の主要なものは山麓に楼門があり、230あまりの石段を登り詰め、広い平地に出ると鐘楼および弘法大師堂があります。さらに少し進むと本堂があり、また右手の丘上には開山堂および多宝塔がそびえています。

楼門[国宝] 参道の登り口にある三間一戸朱塗の楼門で、屋根は入母屋造、本瓦葺にして、天正16年(1588年)創ち約350年前の建築です。枡組には和様三手先を用い、頭貫上には胡粉彩色の牡丹および蓮華唐草の透彫を嵌装して非常に華麗な装飾を施しています。

本堂 五聞五面屋根入母屋造、本瓦葺にして、正面に千鳥破風と唐破風を有する江戸時代宝暦年間(1751~1764年)の建築です。

内陣の厨子には開山為光上人の作と伝わる木造の十一面観音立像[国宝]が安置されています。木造の梵天帝釈天立像[国宝]もこの厨子内に安置されています。厨子の前面両脇には木造で藤原時代に作られた持国天および増長天の立像があります。このほか本堂内には阿弥陀および薬師の坐像、毘沙門天の立像があり、いずれも木造で藤原時代の作です。

開山堂 本堂の東側の丘上にあり、本堂から廻廊によって至ります。三間三面宝形造朱塗の建築で、後世に修補したところが多くありますが、室町末期の建築にして開山為光上人の木像が安置されています。

多宝塔[国宝] 開山堂と相対して建っています。三間二層、屋根本瓦葺朱塗の塔婆で、室町時代の文安6年(1449年)すなわち今からおおよそ480年前足利義政時代に建てられたものです。桝組は下層に二手先を用い尾棰を加えています。内部は金襴巻の円柱を建て、天井は折上格天井朱塗となし、長押には七宝文の極彩色を施し、須弥壇上には木造漆箔五智如来の坐像を安置しています。

鐘楼[国宝] 本堂の前面にあります。桁行三間、梁間二間、重層、袴腰、屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして天正16年の建立です。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
紀三井寺

令和に見に行くなら

名称
紀三井寺
かな
きみいでら
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
和歌山県和歌山市紀三井寺1201
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

紀三井寺驛の東約半粁、紀三井村紀三井寺にある。金剛寶寺と號し、西國三十三番觀音の札所として名高い。山內に吉祥水があり、三井と稱するので、近江の三井寺と區別するため紀の字を冠したのが遂に寺號に俗稱されることとなつた。寺域は山上景勝の地を占め、櫻花の名所としても知られ、近くは眼下に和歌山市街を見下し、また新和歌浦の勝區を挾みて大洋に臨み、遙に淡路及四國の連峰の見えることがある。

當寺の由來は寺傳によると、寶龜元年爲光上人唐より渡來して開く所と傳へて居る。後正曆年閒花園天皇及鳥羽天皇の御幸あり、また後白河法皇の時には敕願所となり、古來上下の信仰厚く、天正年閒には桑山治部、淺野幸長等堂宇を再建し、或は修理を加へ、江戶時代には紀州侯德川賴宜も深く歸依し、その後廢藩に至るまで代々國主の祈願所であつた。現存諸堂宇の主要なるのは山麓に樓門があり、二百三十餘の石段を登り詰め、廣濶な平地に出ると鐘樓及弘法大師堂がある。更に少しく進むと本堂があり、また右手の丘上には開山堂及多寶塔が聳えて居る。

樓門[國寶] 參道の登り口にある三閒一戶朱塗の樓門で、屋根は入母屋造、本瓦葺にして、天正十六年創ち約三百五十年前の建築である。枡組には和樣三手先を用ゐ、頭貫上には胡粉彩色の牡丹及蓮華唐草の透彫を嵌裝して頗る華麗な裝飾を施して居る。

本堂 五聞五面屋根入母屋造、本瓦葺にして、正面に千鳥破風と唐破風を有する江戶時代寶曆年閒の建築である。

內陣の厨子には開山爲光上人の作と傳ふる木造の十一面觀音立像[國寶]が安置されて居る。木造の梵天帝釋天立像[國寶]もこの厨子內に安置されて居る。厨子の前面兩脇には木造で藤原時代に作られた持國天及增長天の立像がある。この外本堂內には阿彌陀及藥師の坐像、毘沙門天の立像があり、何れも木造で藤原時代の作である。

開山堂 本堂の東側の丘上にあり、本堂から廻廊によつて達せられる。三閒三面寶形造朱塗の建築で、後世修補せる所多きも、室町末期の建築にして開山爲光上人の木像が安置されて居る。

多寶塔[國寶] 開山堂と相對して建つて居る。三閒二層、屋根本瓦葺朱塗の塔婆で、文安六年卽ち今より凡そ四百八十年前足利義政時代に建てられたものである。桝組は下層に二手先を用ゐ尾棰を加へて居る、內部は金襴卷の圓柱を建て、天井は折上格天井朱塗となし、長押には七寶文の極彩色を施し、須彌壇上には木造漆箔五智如來の坐像を安置して居る。

鐘樓[國寶] 本堂の前面にある。桁行三閒、梁閒二閒、重層、袴腰、屋根入母屋造、本瓦葺の建築にして天正十六年の建立である。

東和歌山・紀三井寺のみどころ