日立鉱山

日立鑛山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

助川駅の西北4kmにある金、銀、銅、硫化鉄の産地です。角閃片岩、雲母片岩中の層状含銅、黄鉄鉱床で、黄鉄鉱、黄銅鉱のほか少量の金銀磁硫鉄鉱、閃鉛鉱、方鉛鉱などを随伴します。鉱体の走向傾斜は北45度東で、西北に50~70度の傾斜をなしています。もっぱら上向階段法により採掘し、七鉄体群中30~45mの垂直距離で横坑道を開鑿し各坑道は直立または斜竪坑により連結します。なかでも第一竪坑は地表からの深さ550mにおよびます。

選鉱の上他山の鉱石と合併して熔錬を行っています。鉱石の熔解は半自熔法で、熔鉱炉で含銅2割弱の一番鈹をつくり、これを錬鈹炉に移し含銅約3割の二番鈹となしさらにベセマー式錬銅炉で含金銀粗銅に製出します。それから電練場において純金、純銀、精銅に分けられます。

製錬所には焼粉炉が35か所設けられ、1か月約1万9,000トンの粉鉱が処理されます。熔鉱炉は8座で、1か月5万3,000トンの素鉱を処理します。錬鈹炉は2座、錬銅炉は6座を備え、電解室には木製鉛張の電解槽556個を39列に配列し、粗銅板を陽極、電気銅の薄板を陰極とし、1か月約5,000トンの精銅と金銀塊を製出します。金銀塊は分金室で電気分解を行い鈍金および純銀を製出します。その取扱量1か月約3,800トンです。鉱夫は3,600名、製品年産額、金1,800kg、価額260万円、銀20,000kg、価額100万円、精銅22,000kg、価額680万円です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
日立鉱山

令和に見に行くなら

名称
日立鉱山
かな
ひたちこうざん
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
閉山となっています。

日本案内記原文

驛の西北四粁にある金、銀、銅、硫化鐵の產地である。角閃片岩、雲母片岩中の層狀含銅、黃鐵鑛床で、黃鐵鑛、黃銅鑛の外少量の金銀磁硫鐵鑛、閃鉛鑛、方鉛鑛などを隨伴する。鑛體の走向傾斜は北四五度東で、西北に五〇度乃至七〇度の傾斜をなして居る。專ら上向階段法により採掘し、七鐵體群中三〇米乃至四五米の垂直距離で橫坑道を開鑿し各坑道は直立または斜竪坑により連結する。中には第一竪坑は地表からの深さ五五〇米に及ぶ。

選鑛の上他山の鑛石と合倂して熔鍊を行ふ。鑛石の熔解は半自熔法で、熔鑛爐で含銅二割弱の一番鈹をつくり、これを鍊鈹爐に移し含銅約三割の二番鈹となし更にベセマー式鍊銅爐で含金銀粗銅に製出する。それから電練場に於て純金、純銀、精銅に分けられる。

製鍊所には燒粉爐が三五箇設けられ、一ケ月約一萬九千瓲の粉鑛が處理される。熔鑛爐は八座で、一ケ月五萬三千瓲の素鑛を處理する。鍊鈹爐は二座、鍊銅爐は六座を備へ、電解室には木製鉛張の電解槽五五六個を三十九列に配列し、粗銅板を陽極、電氣銅の薄板を陰極とし、一ケ月約五千瓲の精銅と金銀塊を製出する。金銀塊は分金室で電氣分解を行ひ鈍金及純銀を製出する。その取扱量一ケ月約三、八〇〇瓲である。鑛夫は三千六百名、製品年產額、金一、八〇〇瓩、價額二百六十萬圓、銀二〇、〇〇〇瓩、價額百萬圓、精銅二二、〇〇〇瓩、價額六百八十萬圓である。

日立のみどころ