横浜市

橫濱市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

幕末時代に米英仏などの諸国との間に通商条約(神奈川条約)が締結され、その結果江戸時代末期の安政6年(1859年)横浜は開港場となりましたが、当時の横浜村は戸数わずか八十戸に過ぎませんでした。その後貿易の隆盛にともなって跳躍的に発達し、開港以来10年で戸口は約100倍に達し、さらに大正12年の震災当時は人口45万でしたが、近頃の市街の復興とともに市の区域を拡大して人口54万を数える世界的貿易港となりました。市内交通には市営の電車および乗合自動車の便があります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
横浜市
かな
よこはまし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県横浜市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

幕末時代に米英佛などの諸國との閒に通商條約(神奈川條約)が締結せられ、その結果安政六年橫濱は開港場となつたが、當時の橫濱村は戶數僅に八十戶に過ぎなかつた。その後貿易の隆盛に伴ひ跳躍的に發達し、開港以來十年で戶口は約百倍に達し、更に大正十二年の震災當時は人口四十五萬であつたが、近時市街の復興と共に市の區域を擴大して人口五十四萬を算し世界的貿易港となつた。市內交通には市營の電車及乘合自動車の便がある。

横浜のみどころ