郡山市
郡山市
昭和初期のガイド文
安積平野の東部に位置し、陸羽街道の要点を占め、街道町として発達したところで、明治の初年安積平野が開墾され、農産物の集散地となり、さらに東北線、磐越西線、同東線等の開通を見、商品需給の範囲が大いに広まり、加えて安積疏水による発電の事業が工業地としての新生命を付与したため、現在は商工業大いに栄え、福島県第一の都市となり、人口約4万3,000人を数えるに至りました。市内の繁華区は柳内で、大町通は商業の中心となっています。
この地は鎌倉時代に伊東氏が住んだところで、その後伊達、蒲生、加藤の諸氏の領するところとなり、江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)に二本松城主丹羽氏の領地となって幕末におよびました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 郡山市
- かな
- こおりやまし
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県郡山市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
安積平野の東部に位し、陸羽街道の要點を占め、街道町として發達した處、明治の初年安積平野開墾の業成りて、農產物の集散地となり、更に東北線、磐越西線、同東線等の開通を見、商品需給の範圍大に廣まり、加ふるに安積疏水による發電の事業が工業地としての新生命を附與したので、今は商工業大に榮え、福島縣第一の都市となり、人口約四萬三千を算するに至つた、市內の繁華區は柳內で、大町通は商業の中心をなして居る。
この地は鐮倉時代に伊東氏の居た處で、その後伊達、蒲生、加藤の諸氏の領する所となり、寬永年閒に二本松城主丹羽氏の領地となつて幕末に及んだ。