円寿寺の供養碑
圓壽寺の供養碑
昭和初期のガイド文
郡山駅の南2.5km、市内小原田町にあリ、俗に一町仏といいます。上部欠失、残存部も縦に二断されています。阿弥陀三尊仏の来迎図と人家が半肉彫で現されています。平安時代に流行した来迎仏の様式を伝えていますが鎌倉時代のものであると思われます。なお本堂には安積郡内から発掘された石器土器の類が陳列されています。ほかに大工町郡山裁縫女学校構内(今泉氏邸内)にも阿弥陀三尊来迎の図を半肉彫にした供養碑があります。その時代は鎌倉末期でしょう。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 円寿寺の供養碑
- かな
- えんじゅじのくようとう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県郡山市小原田1-9-14
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の南二粁半、市內小原田町にあリ、俗に一町佛と云ふ。上部缺失、殘存部も縱に二斷されて居る。阿彌陀三尊佛の來迎圖と人家が半肉彫で現はされて居る。平安時代に流行した來迎佛の樣式を傳へて居るが鐮倉時代のものであらう。尙本堂には安積郡內から發掘された石器土器の類が陳列されて居る。外に大工町郡山裁縫女學校構內(今泉氏邸內)にも阿彌陀三尊來迎の圖を半肉彫にした供養碑がある。その時代は鐮倉末期であらう。