伊東肥前の碑
夜討川戰死者伊藤重信墓碑
昭和初期のガイド文
郡山駅の北約0.5km、東北本線磐越西線分岐路にあり、俗に仙台仏と呼ばれます。碑面に伊藤肥前伝賛墓碑と題し、碑背に仙台藩主伊達綱村の文を刻す。江戸時代中期の元禄5年(1692年)に立てたものです。伊藤重信は伊達政宗の臣で、安土桃山時代の天正16年(1588年)伊達氏が佐竹氏とここで戦った時、奮闘力戦して政宗を救い、ついに討死したものです。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 伊東肥前の碑
- かな
- いとうひぜんのひ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県郡山市富久山町久保田山王舘
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北約半粁、東北本線磐越西線分岐路にあり、俗に仙臺佛と呼ぶ。碑面に伊藤肥前傳贊墓碑と題し、碑背に仙臺藩主伊達綱村の文を刻す。元祿五年に立てたものである。伊藤重信は伊達政宗の臣で、天正十六年伊達氏が佐竹氏とこゝで戰つた時、奮鬪力戰して政宗を救ひ、遂に討死したのである。