大洲城跡

大洲城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

伊予大洲駅の西南1.5km、大洲町にあります。宇都宮氏が創めたところで、鎌倉時代から安土桃山時代の天正の頃まで代々の居城でした。室町時代の永禄11年(1568年)宇都宮豊綱が滅亡し、長宗我部氏がさらにこれを攻め、一時廃城となりましたが、江戸時代前期の慶長13年(1608年)脇坂安治がここに封ぜられて城を再興しました。元和3年(1617年)加藤左近太夫貞泰、これに代って子孫世襲して維新に至りました。石塁および重層の櫓が現存し、城池は近頃開拓されて公園となりました。園内に中江藤樹の銅像があります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
大洲城跡
かな
おおずじょうせき
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
愛媛県大洲市大洲903
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

伊豫大洲驛の西南一粁半、大洲町にある。宇都宮氏の創めた所で、鐮倉時代の頃から天正の頃まで累代の居邑であつた。永祿十一年宇都宮豐綱滅亡し、長宗我部氏更にこれを侵し、一時廢城となつたが、慶長十三年脇坂安治こゝに封ぜられて城を再興した。元和三年加藤左近太夫貞泰、これに代りて子孫世襲して維新に至つた。石壘及重層の櫓が現存し、城池は近時拓かれて公園となつた。園內に中江藤樹の銅像がある。

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大洲のみどころ