與田寺

與田寺[眞言宗御室派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

三本松駅の西南約3km、誉水村中筋にあります。虚空蔵院と称し、奈良時代の天平中(729~749年)行基の開基で、はじめ法相宗で薬師寺と号しましたが、弘法大師が入唐帰朝後この寺を修営して真言宗に改め、大水主神をもって鎮守としました。後に衰退して室町時代の応永19年(1412年)増吽僧正が来て堂宇を修営し、中興の祖となりました。安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)兵火に罹りましたが、江戸時代中期の元文年中(1736~1741年)国主松平頼重によって大いに修補を加えられました。

  • 宝物
  • 仏涅槃図[国宝] 絹本著色 1幅 普通の涅槃図で描線に肥腹なく、諸仏の表情は温秀で藤原時代の作と思われます。
  • 地蔵曼荼羅図[国宝] 絹本著色 1幅 十王経に基づいて描いた地蔵菩薩の図像で宋画の系統に属する元朝以後の中国画です。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
與田寺
かな
よだじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
香川県東かがわ市中筋466
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

三本松驛の西南約三粁、譽水村中筋にある。虛空藏院と稱し、天平中行基の開基にして、はじめ法相宗で藥師寺と號したが、弘法大師入唐歸朝後當寺を修營して眞言宗に改め、大水主神を以て鎭守となした。爾後衰退して應永十九年增吽僧正來りて堂宇を修營し、中興の祖となつた。天正年閒兵燹に罹つたが、元文年中國主松平賴重によつて大いに補を加へられた。

  • 寶物
  • 佛涅槃圖[國寶] 絹本著色 一幅 普通の涅槃圖で描線に肥腹なく、諸佛の表情溫秀にして藤原時代の作と思はれる。
  • 地藏曼荼羅圖[國寶] 絹本著色 一幅 十王經に據つて描いた地藏菩薩の圖像で宋畫の系統に屬する元朝以後の支那畫である。

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