帝釈峡

帝釋峽[指定名勝]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

高梁川に注ぐ東城川の支流で帝釈台を貫く帝釈川の渓谷がそれです。比婆郡帝釈村から神石郡永渡、新坂の2村にまたがり、帝釈村永明寺がその北口です。永明寺へは東城駅から西南12km、庄原線備後庄原駅からは東28km、ともに自動車の便があります。探勝者は往路は永明寺に至り、そこから徒歩ならびに遊船で下りつつ観賞の上、帰路は犬瀬の紅葉橋畔から自動車で東城に帰るのが通例です。山陽本線方面から入る人は、福山駅から自動車で北40kmの犬瀬に至り、まず遊船で神竜湖の風景を観賞の上、雌橋から徒歩永明寺に至り、そこから自動車によって帰途につきます。

この地方は500mあまり隆起した準平原で、古生代の水成岩、特に石灰岩が広く分布して、カルストが発達しています。帝釈峡はこの石灰岩台地を貫き奇岩、緑樹、清流のおりなす豪壮雄大な勝景が20mにわたって続く長峡で、永明寺のある帝釈集落から雌橋までのいわゆる帝釈地方と、雌橋から堰堤まですなわち神竜湖畔の2区および堰堤から和宗までの未指定区域とに3大別されます。

帝釈地方では一大石灰洞である白雲洞と、一大天然橋である雄橋が最も勝れ、清流に沿って歩道があります。神竜湖は発電用の人工湖で、舟遊探勝の便があります。堰堤下は奇岩、緑樹、瀑布、石灰洞が多く、就中天川洞は偉観です。

帝釈集落の帝釈橋を渡れば左岸の老杉が茂ったところに真言宗の古刹永明寺があります。永明寺は帝釈天を祀り、行基の開いたという寺です。堂後にそびえる石雲山は削立60mにあまる峭壁巉厳で、その麓清流の洗うあたりに石灰洞があり、入口を賽の河原といい、その上にまた穴の薬師堂があります。永明寺から流れに沿って下れば帝釈盆地の尽きるところ、左岸に白雲洞があります。鍾乳洞で入口は狭く2mに過ぎませんが、屈折江廻180mあまり約15分くらいでその奥に達します。峡の洞窟中で最も見るべきものです。唐門は白雲洞の南に隣接し、高さ6mあまりの壮大な石門で、この石門の上にさらにまた鬼の窓という洞があり、門上また門を架しています。仰げば城関のように山雲去来して雄渾です。そこからなお南下して下流へ進めば雄橋があります。雄橋は石灰岩の天然橋で神橋とも称し、その下は玲瓏玉のような急流となっています。橋の大きさは幅12m、高さ30m、長さ65m、橋背は通路があり、草木茂って行人は橋上橋を知りません。ここに草木を排して橋端に立ち四顧すれば四周密林に覆われ、帯状の流れを眺めて幽邃です。雄橋の下流数百mに河床の勝景をなすところがあり、断魚渓といいます。岩頭乱立しあるいは奔馬あるいは臥牛の奇形となり、流水滔々その間を下り、狂奔岩を噛み岸に激し、峡中第一の河床勝景です。さらに下って右岸嶮崖に懸る素麺滝を見て進めば雌橋に着きます。雌橋は石灰岩の天然穹窿で幅大きく70mあまり、長さ18mあります。もとは雄橋と同じく橋となっていましたが、堰堤のために水面上昇して半ば水中に没しました。雌橋から下流はいわゆる神竜湖で、ここから遊船を雇うことができます。湖は帝釈川の流域5.5kmおよび相渡川の流域1.5kmにわたる堰塞湖で遊泳、釣遊に適します。その形は竜に似、竜頭にあたるところは真峡となって屏風岩、幕岩があり、竜頸には矢不立城山、烏帽子岩、下剣岳、上剣岳、紅葉橋があり、竜腹はV字谷と開けて、聚落点在し、竜尾はまた真峡となって狗賓岳の秀峯、堰堤があります。

紅葉橋は神竜湖の中心で、矢不立城山の西南犬瀬部の東北部から対岸に架かっています。長さ60m、秋季紅葉の頃は橋側橋下すべて錦繍に染まります。遊船で紅葉橋下を潜ってさらに下れば右岸雲にそびえる秀峰があります。これが狗賓岳で永明寺の白雲山に似、半腹近くには壮麗な六角堂が仰ぎ見られます。堰堤は長さ11m、頂幅6m、ここからはトンネルを経て落合発電所へ送水するものです。

堰堤下約4km、和宗までの真峡は指定名勝区外ですが、前者に劣らず勝景が多く隠れ岩、面抜、霧降滝、花面狗賓岳、蜂の子岳、天川洞屈、弘法岳等の勝があります。歩道は整備されていませんが流水が少ないため徒歩で探勝することができます。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
帝釈峡の雄橋

令和に見に行くなら

名称
帝釈峡
かな
たいしゃくきょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県庄原市東城町帝釈未渡
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

高梁川に注ぐ東城川の支流で帝釋臺を貫く帝釋川の溪谷がそれである。比婆郡帝釋村から神石郡永渡、新坂の二村に跨り、帝釋村永明寺がその北口である。永明寺へは東城驛から西南一二粁、庄原線備後庄原驛からは東二八粁、共に自動車の便がある。探勝者は往路永明寺に至り、そこから徒步竝に遊船で下りつゝ觀賞の上、歸路は犬瀨の紅葉橋畔から自動車で東城に歸るのが例である。山陽本線方面から入る人は、福山驛から自動車で北四〇粁の犬瀨に至り、先づ遊船で神龍湖の風景を觀賞の上、雌橋から徒步永明寺に至り、そこから自動車に依つて歸途に著くのである。

この地方は五百餘米隆起せる準平原で、古生代の水成岩殊に石灰岩廣く分布して、カルストが發達して居る。帝釋峽はこの石灰岩臺地を貫き奇岩、綠樹、淸流の織成す豪壯雄大な勝景が蜿蜒二〇米に亙る長峽で、永明寺のある帝釋部落から雌橋までの所謂帝釋地方と、雌橋から堰堤まで卽ち神龍湖畔の二區及堰堤から和宗までの未指定區域とに三大別される。

帝釋地方では一大石灰洞たる白雲洞と、一大天然橋たる雄橋が最も勝れ、淸流に沿うて步道がある。神龍湖は發電用の人工湖で、舟遊探勝の便がある。堰堤下は奇岩、綠樹、瀑布、石灰洞多く、就中天川洞は偉觀である。

帝釋部落の帝釋橋を渡れば左岸老杉森々たる所に眞言宗の古刹永明寺がある。永明寺は帝釋天を祀り、行基の開いたと云ふ寺である。堂後に聳ゆる石雲山は削立六〇米に餘る峭壁巉嚴で、その麓淸流の洗ふ邊に石灰洞があり、入口を賽の河原と云ひ、その上にまた穴の藥師堂がある。永明寺から流に沿うて下れば帝釋盆地の盡くる所左岸に白雲洞がある。鍾乳洞で入口は狹く二米に過ぎぬが、屈折江廻一八〇米餘約十五分位でその奧に達せられる、峽中洞窟中最見るべきものである。唐門は白雲洞の南に鄰り、高さ六米餘の壯大な石門で、この石門の上に更にまた鬼の窓と云ふ洞があり、門上また門を架して居る。仰げば城關の如く山雲去來して雄渾である。そこから尙南して下流へ進めば雄橋がある。雄橋は石灰岩の天然橋で一つに神橋と稱し、下には玲瓏玉の如き急湍が流れる。橋の大さ幅一二米、高さ三〇米長さ六五米、橋背は通路があり、草木茂つて行人は橋上橋を知らない。こゝに草木を排して橋端に立ち四顧すれば四周密林に蔽はれ、帶狀の流れを眺めて幽邃である。雄橋の下流數百米に河床の勝景をなすあり、斷魚溪と云ふ、岩頭亂立或は奔馬或は臥牛の奇形をなし、流水滔々その閒を下り、狂奔岩を噛み岸に激し、峽中第一の河床勝景である。更に下つて右岸嶮崖に懸る素麵瀧を見て進めば雌橋に著く。雌橋は石灰岩の天然穹窿で幅大きく七〇米餘、長さ一八米ある。もとは雄橋と同じく橋をなして居たが、堰堤の爲に水面上昇して半ば水中に沒した。雌橋から下流はいはゆる神龍湖で、こゝから遊船を傭ふことが出來る。湖は帝釋川の流域五粁半及相渡川の流域一粁半に亙る堰塞湖で遊泳、釣遊に適する。その形龍に似、龍頭に當るところは眞峽をなして屏風岩、幕岩あり、龍頸には矢不立城山、烏帽子岩、下劍嶽、上劍嶽、紅葉橋があり、龍腹はV字谷開けて、聚落點在し、龍尾はまた眞峽をなして狗賓嶽の秀峯、堰堤がある。

紅葉橋は神龍湖の中心で、矢不立城山の西南犬瀨部の東北部から對岸に架する。長さ六〇米、秋季紅葉の候は橋側橋下悉く錦繍に粧はる。遊船で紅葉橋下を潛つて尙下れば右岸雲に聳ゆる秀峯がある。これが狗賓嶽で永明寺の白雲山に似、半腹近くには壯麗な六角堂が仰ぎ見られる。堰堤は長さ一一米頂幅六米、こゝからは隧道を經て落合發電所へ送水するものである。

堰堤下約四粁和宗までの眞峽は指定名勝區外であるが、前者に劣らず勝景多く隱れ岩、面拔、霧降瀧、花面狗賓嶽、蜂の子嶽、天川洞屈、弘法嶽等の勝がある。步道不備であるが流水少いため徒步探勝に便である。

東城のみどころ