花むしろ

花筵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

備前、備中、備後すなわち三備地方は古来イグサ製品の産地です。茶屋町の人磯崎眠亀が、イグサのむしろならびにその織機の改良を図り、明治11年(1878年)錦莞莚と呼ばれる優品を製造し、同14年(1881年)英国へ輸出したのを始めとして、その後外国へ積み出されるものが次第に多くなり、あわせてイグサの栽培も盛んになりましました。しかし花むしろの輸出は近年激減しましました。イグサを原料とするものには花むしろのほか、畳表、ござ、イグサ枕、イグサ笠などがあります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
花むしろ
かな
はなむしろ
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
現在は生産されていないでしょうか。

日本案内記原文

備前、備中、備後卽ち三備地方は古來藺製品の產地である。茶屋町の人磯崎眠龜、藺席竝にその織機の改良を圖り、明治十一年錦莞莚と稱する優品を製し、同十四年英國へ輸出したのを始として、その後外國へ積出されるものが次第に多くなり、隨つて藺の栽培も盛になつた。しかし花筵の輸出は近年激減した。藺を原料とするものには花筵の外、疊表、茣蓙、藺枕、藺笠等がある。

倉敷のみどころ