倉敷市

倉敷市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

倉敷駅所在地。昭和3年(1928年)4月市制施行地となり、同5年(1930年)8月福田村大字浦田の一部を編入し、東西4km、南北5km、面積18km²あまり、高梁川の沖積地で、地勢はおおむね平坦で南方に緩斜し、倉敷川(汐入川)は瀬戸内海に通じて水運の便を与えています。最近の年生産額1,200万円を超え、その9割以上は工産物で、工産物の7割あまりは綿糸が占め、金巾、綿帆布等がこれに次ぎます。市内に紡績工場のほか、大原農業研究所、倉敷労働科学研究所、大原美術館、倉敷天文台等があります。繁華な通は阿知町、戎町、浜田町です。

この地は往昔の阿知潟で、備中南部の要津として知られ、関東御城入米をここから津出したため、米倉が設けられて倉敷の地名を生じ、倉鋪とも書きました。江戸幕府の直轄地で倉敷代官の陣屋があり、富潤の地をもって知られていました。現在人口は3万1,000人。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
倉敷市
かな
くらしきし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県倉敷市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

倉敷驛所在地。昭和三年四月市制施行地となり、同五年八月福田村大字浦田の一部を編入し、東西四粁、南北五粁、面積一八方粁餘、高梁川の沖積地で、地勢槪ね平坦にして南方に緩斜し、倉敷川一名汐入川は瀨戶內海に通じて水運の便を與へて居る。最近の年生產額一千二百萬圓を超え、その九割以上は工產物で、工產物の七割餘は綿絲が占め、金巾、綿帆布等がこれに次ぐ。市內に紡績工場の外、大原農業硏究所、倉敷勞働科學硏究所、大原美術館、倉敷天文臺等がある。繁華な通は阿知町、戎町、濱田町である。

この地は往昔の阿知潟で、備中南部の要津として知られ、關東御城入米をこゝから津出したため、米倉が設けられて倉敷の地名を生じ、倉鋪とも書いた。江戶幕府の直轄地で倉敷代官の陣屋があり、富潤の地を以て知られて居た。今人口三萬一千。

倉敷のみどころ