長岡宮跡

長岡宮址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

向日町駅の西南1.5km、京阪電車西向日町の北0.5km、向月町雞冠木にあります。桓武天皇が奈良時代の延暦3年(784年)始めて都を山城国に定められた宮城の遺跡で、延暦13年(794年)平安の新都に遷られると、次第に荒廃していきましたが、地字を大極殿と呼び、地中から古瓦を出土します。また付近に御垣本、御屋敷、宮の前、鞠場、射場、垣内、猪隈院、島阪など宮跡に関係ある字名が今に残っています。小学校の東北の藪林のなかに大極殿の碑が建っています。碑は明治28年(1895年)有志者が建てたところで「長岡宮城大極殿遺址」と題し、山階宮晃親王の御染筆です。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
長岡宮跡
かな
ながおかきょうあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府向日市鶏冠井町山畑22
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

向日町驛の西南一粁半、京阪電車西向日町の北半粁、向月町雞冠木にある。桓武天皇延曆三年始めて都を山城國に奠め給うた宮城の遺址で、延曆十三年平安の新都に遷らせられるや、漸次荒廢に歸したが、地字を大極殿と呼び、地中より古瓦を出土する。また附近に御垣本、御屋敷、宮の前、鞠場、射場、垣內、猪隈院、島阪等宮址に關係ある字名が今に存して居る。小學校の東北の藪林中に大極殿の碑が建つて居る。碑は明治二十八年有志者の建つる所で「長岡宮城大極殿遺址」と題し、山階宮晃親王の御染筆である。

向日・長岡京のみどころ