大分元町石仏
大分元町石佛[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
大分駅の東南2km、市の東端元町の上野台丘腹にあり、自動車の便があります。久大線の車窓から望見することができます。凝灰岩および凝灰岩質砂利層の岩壁に仏、菩薩等を半肉彫にしたもので、俗に岩薬師と称される巨像を中心として、不動明王および脇侍ならびに多聞天立像等を配した一群で、宝形造の覆堂が作り付けられています。中央の岩薬師は円彫に近い高彫の像で、高さ約5.7m、螺髪は黒色に塗られ、白い胡粉が顔面、頸部等ところどころに残っています。日羅の作と伝わりますが他の多くの石仏とともに平安時代の造像でしょう。覆堂の外部左右の岩壁には光背を備えた坐像6体その他がありますが、岩質軟弱で像は大部分が破壊されています。そばの小龕の仏像は鎌倉時代のものでしょう。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大分元町石仏
- かな
- おおいたもとまちせきぶつ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 大分県大分市元町2-25
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
大分驛の東南二粁、市の東端元町の上野臺丘腹にあり、自動車の便がある。久大線の車窓から望見し得られる、凝灰岩及凝灰岩質砂利層の岩壁に佛、菩薩等を半肉彫にしたもので、俗に岩藥師と稱せられる巨像を中心として、不動明王及脇侍竝に多聞天立像等を配した一群で、寶形造の覆堂が作り付けられて居る。中央の岩藥師は圓彫に近い高彫の像で、高さ約一丈七尺、螺髮は黑色に塗り、白き胡粉が顏面、頸部等所々に殘つて居る。日羅の作と傅へるが他の多くの石佛と共に平安時代の造像であらう。覆堂の外部左右の岩壁には光背を具へた坐像六軀その他があるが、岩質軟弱で像は大部分破壞されて居る。傍の小龕の佛像は鐮倉時代のものであらう。