臼杵石仏

臼杵深田の石佛[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上臼杵駅の西南約6km、臼杵町大字深田にあり、付近まで自動車の便があります。

豊後国は磨崖仏すなわち自然の岩石に彫り出した仏像が多くあることをもって名高いですが、この地に遺存する磨崖仏は数においても、美術的価値においてもその首位を占めるもので、数十の石仏が渓谷の平地を囲む丘陵の懸崖に羅列遺存し、その主要石仏群は大日山と堂ヶ迫の山腹に遺存しています。このほか大日山と相対する丘陵の麓に仁王像、真野長者夫妻像、蓮城法師像および宝筐印塔があります。

大日山十三仏群像 日吉神社に登る高い石階の中段から左手に折れて進むと、山腹に露出した7.5m以上の凝灰岩の壁面に大日如来の巨像を中心として仏菩薩や天部の像が刻出されています。いずれも破損がひどく非常に惨澹とした光景を見せています。特に中尊はその破損が最も激しいですが、残存する輪廓によると高さ3mにもおよび、顔面部の長さは83cmに達する巨像で、その手法は雄大、奈良朝の仏像を想像させるものがあり、深田石仏のなかで最大のものであることが推察されます。

隠れ地蔵 この一群の石仏は大日山の西側、すなわち十三仏像とは反対側にあり、日吉神社に登る石段の中央から右に折れて進むと、日吉神社の下方の崖に刻出されています。俗に地蔵群と称していますが、地蔵の像ではなくいずれも仏部の像で、中尊は特に大きなため三尊一座の形式を示しています。中尊は高さ約3.4mあり、右手は胸のあたりに挙げて説法印を結び、左手は膝に安じて与願印を結んでいるため釈迦像とも見るべき印を結んでいます。左右の両像は高さいずれも約1.9m、その印相は大体中尊と同様ですが、何仏であるか明瞭ではありません。手法は各尊互いにやや異るものがありますが、製作年代はおおよそ平安初期と思われます。

堂ヶ迫下群像 大日山と小谿谷を挟んで相対する丘陵台地の低地に近い懸崖に刻出されています。この地には2群の石像があり、最低位の1群にはおおよそ8体の仏像を遺存していますが、その1体を除くほかはいずれも立像です。他の1群はここから約7.5m上部にあり、三尊仏を中心として左右に各1体の破損仏が遺存しています。この三尊仏はその大さにおいては大日山十三仏の中尊に次く巨像であるとともに、その作は優秀でほとんど完存している点においては深田石仏中にあってはもとより、豊後石仏中においても首位となるもので平安朝初期の作です。中尊は高さ3.4mあまり、両手を膝上にあつめて結跏趺坐する阿弥陀像です。右脇の立像は高さ約2.7mで右手を垂れ、左手を挙げて蓮枝を持ち、観音菩薩の形像を示しています。左脇の立像は勢至菩薩の像と思われるもので、右脇の観音像と同様の作風を示しています。

堂ヶ迫上群像 堂ヶ迫下群像から約40歩ほど上位の懸崖約十数間にわたって塔形の浮彫約10基および仏像30体あまりを刻出していますが、その石仏群は4群に分かれています。第1群の石仏は地蔵菩薩を中心として左右に十王像を刻出しています。その地蔵菩薩は半跏像で高さ約1.5m、左右の十王像はいずれも衣冠束帯道服姿の像で手に笏を持っています。地蔵十王像とともに鎌倉初期の作と思われます。次に第2群の石仏は大日如来を中心とする三尊仏と二菩薩の立像からなっています。中像は高さ約1.1m、智拳印を結んだ金剛界の大日如来像で宝冠を戴いています。左右の二尊の向かって右は釈迦像、左は阿弥陀像でいずれも高さ約76cm、中尊に比べてかなり小さいものです。三尊の外側にある二菩薩像はいずれも立像で高さ約1.1m、蓮華座上に立っています。第3の石仏群は阿弥陀像を中央に現し、釈迦薬師の像を左右に持つ三尊を主要像とし、その左に愛染明王、右に約5体の像を現しています。中尊阿弥陀像は高さ約2.3m、激しく破損しています。向かって右側の釈迦像は高さ約2.1m、右手を挙げて説法印を結んでいます。左側の薬師像も右手を挙げて説法印を結び、釈迦像とほぼ同様の姿態を現しています。最後に第4群の石仏は堂ヶ迫諸群中最も高いところに位置するもので中央に仏部の坐像3体を中心として左右に二菩薩を刻出しています。中尊は釈迦像で高さ約1.9mあります。他の諸像は破損がひどく何尊であるかも明らかでありません。

仁王石像 大日山、堂ヶ迫の石仏群のある丘陵から見下した平地にあり、いずれも脚部下半を地中に浸して立っています。向かって右の方の像は高さ約2.5m、頭髪を結び、口を開き右手をもって腰を押さえ、左右の肘を張っています。左の像は高さ約2mで首部その他もひどく破損しています。いずれも簡素な作ですが非常に力があり、鎌倉時代のものと思われます。

真野長者夫妻石像 仁王像の東丘陵の突端に穿たれた龕洞内に安置されています。いずれも僧形姿の像です。大きなものは長者の像で高さ1.1m、合掌姿を現しています。小さなものは長者内儀の像で高さ約87cm、両手を膝の上にあつめています。真野長者はこの地石仏創建の施主と伝えています。

蓮城法師石像 前洞の北に接する洞窟内に安置されています。高さ1m、両手を膝の上にあつめて坐しています。膝の張りも狭すぎ、その作は長者夫妻像よりも劣っています。

日吉塔 仁王像の北の平地に立っています。総高さ4.9mあまり、稀に見る堂々とした形態を備えた宝篋印塔で鎌倉時代の作と思われます。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
臼杵石仏
かな
うすきせきぶつ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大分県臼杵市深田804-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

上臼杵驛の西南約六粁、臼杵町大字深田にあり、附近まで自動車の便がある。

豐後國は磨崖佛卽ち自然の岩石に彫り出した佛像の多く存するを以て名高いが、この地に遺存する磨崖佛は數量に於ても、美術的價値に於てもその首位を占むるもので、數十の石佛が溪谷の平地を圍める丘陵の懸崖に羅列遺存し、その主要石佛群は大日山と堂ケ迫の山腹に遺存して居る。この外大日山と相對する丘陵の麓に仁王像、眞野長者夫妻像、蓮城法師像及寶筐印塔がある。

大日山十三佛群像 日吉神社に登る高い石階の中段から左手に折れて進むと、山腹に露出した二十有餘尺の凝灰岩の壁面に大日如來の巨像を中心として佛菩薩や天部の像が刻出されて居る。何れも破損甚しく頗る慘澹たる光景を呈して居る。殊に中尊はその破損最も甚しいが、殘存せる輪廓によると高さ一丈にも及び、顏面部の長さは二尺二寸に達せる巨像で、その手法雄大、奈良朝の佛像を想像せしむるものがあり、深田石佛中最大のものであることが推察される。

隱れ地藏 この一群の石佛は大日山の西側、卽ち十三佛像とは反對側にあり、日吉神社に登る石段の中央から右に折れて進むと、日吉神社の下方の崖に刻出されて居る。俗に地藏群と稱して居るが、地藏の像ではなく何れも佛部の像で、中尊は特に大なるため三尊一座の形式を示して居る。中尊は高さ約九尺あり、右手は胸邊に舉げて說法印を結び、左手は膝に安じて與願印を結んで居るから釋迦像とも見るべき印を結んで居る。左右の兩像は高さ何れも約五尺、その印相は大體中尊と同樣であるが、何佛であるか明瞭でない。手法は各尊互に稍々異るものあるも、製作年代は凡そ平安初期と思はれる。

堂ケ迫下群像 大日山と小谿谷を挾んで相對する丘陵臺地の低地に近い懸崖に刻出されて居る。この地には二群の石像があり、最低位の一群には凡そ八體の佛像を遺存して居るが、その一體を除く外は何れも立像である。他の一群はこゝから約二十尺上部にあり、三尊佛を中心として左右に各一體の破損佛が遺存して居る。この三尊佛はその大さに於ては大日山十三佛の中尊に次くべき巨像であると共に、その作優秀にして殆んど完存せる點に於ては深田石佛中にあつてはもとより、豐後石佛中に於ても首位を占むべきもので平安朝初期の作である。中尊は高さ九尺餘、兩手を膝上にあつめて結跏趺坐せる阿彌陀像である。右脇の立像は高さ約七尺右手を垂れ、左手を擧げて蓮枝を持し、觀音菩薩の形像を示して居る。左脇の立像は勢至菩薩の像と思はれるもので、右脇の觀音像と同樣の作風を示して居る。

堂ケ迫上群像 堂ケ迫下群像から約四十步程上位の懸崖約十數閒に亘つて塔形の浮彫約十基及佛像三十餘體を刻出して居るが、その石佛群は四群に分かれて居る。第一群の石佛は地藏菩薩を中心として左右に十王像を刻出して居る。その地藏菩薩は半跏像で高さ約四尺、左右の十王像は何れも衣冠束帶道服姿の像で手に笏を持つて居る。地藏十王像と共に鐮倉初期の作と思はれる。次に第二群の石佛は大日如來を中心とする三尊佛と二菩薩の立像から成つて居る。中像は高さ約三尺智拳印を結んだ金剛界の大日如來像で寶冠を戴いて居る。左右の二尊向つて右は釋迦像左は阿彌陀像で何れも高さ約二尺、中尊に比して餘程小さい。三尊の外方にある二菩薩像は何れも立像で高さ約三尺、蓮華座上に立つて居る。第三の石佛群は阿彌陀像を中央に現はし、釋迦藥師の像を左右に持つ三尊を主要像となし、その左方に愛染明王、右方に約五體の像を現はして居る。中尊阿彌陀像は高さ約六尺、甚しく破損して居る。向つて右側の釋迦像は高さ約五尺六寸、右手を擧げて說法印を結んで居る。左側の藥師像も右手を舉げて說法印を結び、釋迦像とほゞ同樣の姿態を現はして居る。最後に第四群の石佛は堂ケ迫諸群中最も高處に位するもので中央に佛部の坐像三體を中心として左右に二菩薩を刻出して居る。中尊は釋迦像で高さ約五尺ある。他の諸像は破損甚だしく何尊であるか明かでない。

仁王石像 大日山、堂ケ迫の石佛群のある丘陵から見下した平地にあり、何れも脚部下半を地中に浸して立つて居る。向つて右の方の像は高さ約六尺七寸、頭髮を結び、口を開き右手を以て腰を押へ、左右の肘を張つて居る、左方の像は高さ約五尺五寸首部その他もいたく破損して居る。何れも簡素な作であるが頗る力があり、鐮倉時代のものと思はれる。

眞野長者夫妻石像 仁王像の東丘陵の突端に穿たれた龕洞內に安置されて居る。何れも僧形姿の像である。大なるは長者の像で高さ三尺、合掌姿を現はして居る。小なるは長者內儀の像で高さ約二尺三寸、兩手を膝の上にあつめて居る。眞野長者はこの地石佛創建の施主と傳へて居る。

蓮城法師石像 前洞の北に接する洞窟內に安置されて居る。高さ二尺七寸、兩手を膝の上にあつめて坐して居る。膝の張りも狹きに過ぎ、その作は長者夫妻像よりも劣つて居る。

日吉塔 仁王像の北方の平地に立つて居る。總高さ十三尺餘、稀に見る堂々たる形態を具へた寶篋印塔で鐮倉時代の作と思はれる。

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