可愛山陵

可愛山御陵

昭和初期のガイド文

新田神社社殿の背後にあり、神亀山、亀山と呼ばれ、円形で2段に築かれ、上に磐石を覆い石玉垣を巡らしています。明治7年(1874年)太政官布告をもって天津彦彦火瓊瓊杵尊を葬り奉った筑紫日向可愛之山陵と治定されました。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
可愛山陵
かな
えのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

新田神社々殿の背後にあり、神龜山、龜山と呼ばれ、圓形で二段に築かれ、上に磐石を被ひ石玉垣を繞らして居る。明治七年太政官布吿を以て天津彥彥火瓊瓊粁尊を葬り奉つた筑紫日向可愛之山陵と治定せられた。

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