俊寛僧都碑
俊寬墓
昭和初期のガイド文
野田郷駅の北800m、野田村下名にあります。口碑によると、俊寛僧都は硫黄島に流されていましたが、有王丸に救われ、水路都に帰る途中病におかされ、荘の津で船を棄ててついにこの地の山内寺で死んだのをここに葬ったといわれています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 俊寛僧都碑
- かな
- しゅんかんそうずひ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県出水市野田町下名
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
野田鄕驛の北八〇〇米、野田村下名にある。口碑によると、俊寬僧都は硫黃島に流されて居つたが、有王丸に救はれ、水路都に歸る途中病に犯され、莊の津で船を棄てゝ遂に當地の山內寺で死んだのをこゝに葬つたと云はれて居る。