チブサン古墳
チブサン古墳[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
山鹿町の西北約3km、鹿本郡平小城村城の城原と呼ぶ集落の北0.5kmの鍋田川(岩野川)に向かって傾斜した丘上の畠地で、形勝の地にあります。前後径40mあまり、葺石あり、埴輪円筒を残す前方後円墳で、後円部に南面した石室が開口していますが、羨道は極めて狭くなっています。ヘギ石をもって築積した穹窿石室で大小2室連続し、奥室は大きく、奥壁に接して石厨子があり、5枚の板石を立てた上に屋根形の屋蓋石を置き、板石内面には朱、白、水色様3色の顔料をもって菱形、三角、小円、その他一種不明の形象が全面に彩画されています。乳の出ない婦人が祈願すれば霊験ありとして、甘酒入の瓶が羨門および棺前に供えられています。この古墳に立てられた石人はかつて県立鹿本中学校庭にありましたが現在は東京帝室博物館に所蔵されます。なお付近にオブサンと呼ばれる一墳があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- チブサン古墳
- かな
- ちぶさんこふん
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 熊本県山鹿市城字西福寺1785
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
山鹿町の西北約三粁、鹿本郡平小城村城の城原と呼ぶ部落の北半粁の鍋田川(岩野川)に向つて傾斜した丘上の畠地で、形勝の地にある。前後徑四〇米餘、葺石あり、埴輪圓筒を存する前方後圓墳で、後圓部に南面した石室が開口して居るが、羨道は極めて狹小である。ヘギ石を以て築積した穹窿石室で大小二室連續し、奧室は大で、奧壁に接して、石厨子あり、五枚の板石を立てた上に屋根形の屋蓋石を置き、板石內面には朱、白、水色樣三色の顏料を以て菱形、三角、小圓、その他一種不明の形象が全面に彩畫せられて居る。乳の出ない婦人が祈願すれば靈驗ありとて、甘酒入の甁が羨門及棺前に供へられて居る。この古墳に樹てられた石人は曾て縣立鹿本中學校庭にあつたが今東京帝室博物館に所藏せられる。尙附近にオブサンと呼ばれる一墳がある。