大宮神社

山鹿神社
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

山鹿町山鹿にあり、景行天皇を祭神とし、相殿に健盤竜命その他を祀っています。景行天皇の筑紫御巡幸にて、玉名を経て阿蘇へ向かわれる際、杉山の地に行宮を造らえたと伝え、のち神霊を奉祀したのがこの社であるといい、大宮大明神と称されました。8月16日の灯籠祭には各氏子が、山鹿灯籠と称される一種の紙灯籠を献じます。厚紙製でいっさい骨を用いず、神社、楼閣、大船等の模形を作り、内部に点灯したもので、起原は景行天皇がこの地に至られた時に霧が深かったので、土地の人がところどころに篝火を焚き迎えたことに由来します。古くはたいまつを献じたものが、後に紙灯籠となり、いったん中絶していたのを安土桃山時代の文禄年中(1592~1596年)復興し、細工が次第に巧妙となって現在に継続しています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
大宮神社
かな
おおみやじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
昭和15年(1940年)に山鹿神宮から大宮神社と改称しています。
住所
熊本県山鹿市山鹿196
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

山鹿町山鹿にあり、景行天皇を祭神とし、相殿に健盤龍命その他を祀つて居る。景行天皇筑紫御巡幸の砌、玉名を經て阿蘇に到り給へる時、杉山の地に行宮を營み給うたと傳へ、のち神靈を奉祀したのがこの社であると云ひ、大宮大明神と稱せられた。八月十六日の燈籠祭には各氏子が、山鹿燈籠と稱せられる一種の紙燈籠を獻ずる。厚紙製で一切骨を用ゐず、神社、樓閣、大船等の模形を作り、內部に點燈したもので、起原は景行天皇この地に到り給うた時霧が深かつたので、土民所々に篝火を焚き迎へ奉つたのに濫觴し古くは炬火を獻じたのが、後、紙燈籠となり、一旦中絕したのを文祿年中復興し、細工次第に巧妙となりて現今に繼續して居る。

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