八幡市

八幡市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

枝光、八幡、黒崎3駅の所在地。洞海の南岸地方を占め、東南部に帆柱山脈が連なって丘陵各所に超伏し、海岸および西部は平坦で、東西9.3km、南北9.9km、面積は38.6km²です。明治22年(1889年)村制施行の際には人口1,200人あまりに過ぎませんでしたが、大正6年(1917年)市制施行の際には8万5,000人弱となり、現在はその2倍以上となり、人口は大きく増加しています。この間に両3回市域が拡張されました。市の発展は日本製鉄の前身官設製鉄所の設置に負うところが多く、鉄の都と呼んでもいいものです。この市は工業地で、重要工産物産類は昭和7年(1932年)に製製所の分を除いて2,440万円に近く、重要なものはソーダ灰、板ガラス、鉄釘、諸機械、セメント、コークス等です。市内で最も繁華な町は中央区および西本町通です。人口17万4,000人。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
八幡市
かな
やはたし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県北九州市八幡東区、八幡西区
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

枝光、八幡、黑崎三驛の所在地。洞海の南岸地方を占め、東南部に帆柱山脈連亙して丘陵各所に超伏し、海岸及西部は平坦で、東西九粁三、南北九粁九、面積は三八方粁六である。明治二十二年村制施行の際には人口一千二百餘に過ぎなかつたが、大正六年市制施行の際には八萬五千弱となり、今はその二倍以上となり、人口の增加が著しい。この閒に兩三回市域が擴張された。市の發展は日本製鐵會社の前身官設製鐵所の設置に負ふところが多く、鐵の都と呼んでもよい。本市は工業地で、重要工產物產類は昭和七年に製製所の分を除いて二千四百四十萬圓に近く、重要なものは曹達灰、板硝子、鐵釘、諸機械、セメント、コークス等である。市內で最も繁華な町は中央區及西本町通である。人口十七萬四千。

八幡のみどころ