福聚寺
福聚禪寺[黃檗宗]
昭和初期のガイド文
小倉駅の東南3km、市内足原、足立山の西麓にあって広寿山と号し、江戸時代前期の寛文4年(1664年)小笠原忠真の創建です。開祖は即非で、境内に小笠原家累代の墓があります。江戸時代末期の慶応2年(1866年)兵火にかかったため往時の壮大さはありませんが、山内は幽邃、背後の山中に即非の坐禅石があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 福聚寺
- かな
- ふくじゅじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福岡県北九州市小倉北区寿山町6-7
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の東南三粁、市內足原、足立山の西麓にあつて廣壽山と號し、寬文四年小笠原忠眞の創建である。開祖は卽非で、境內に小笠原家累代の墓がある。慶應二年兵燹にかゝつたため往時の結構は見ることが出來ないが、山內幽邃、背後の山中に卽非の坐禪石がある。