企救町
企救町
昭和初期のガイド文
小倉市の南に接し、日豊本線城野駅があります。地勢はおおむね平坦、紫川が中央を貫流します。明治29年(1896年)陸軍諸官衙の設置以来発展し、昭和6年(1931年)小倉競馬場の設置により、いっそう賑わいを得ました。人口1万6,000人。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 企救町
- かな
- きくまち
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 合併により北九州市となっています。小倉南区の北部にあたります。
- 住所
- 福岡県北九州市小倉南区
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
小倉市の南に接し、日豐本線城野驛がある。地勢槪して平坦、紫川中央を貫流する。明治二十九年陸軍諸官衙の設置以來發展し、昭和六年小倉競馬場の設置により、一層殷賑となつた。人口一萬六千。