切目神社

切目神社
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

切目駅の西北1.5km、切目村西地、東風早にあります。五体王子宮と称し、王子中で最も古来有名であった切目王子の跡です。旧社地は社殿の東隣丘上にあり、社殿は安土桃山時代の天正中(1573~1592年)兵燹に炎上したのを、文禄元年(1592年)再興したところといい、後に徳川頼宣が入国するにおよんで社殿の修補や什物の寄進等があり、社前にナギなどを植えました。現在、境内にホルトノキの老木があります。なお、神社の東北を御所屋敷と称し、後鳥羽院熊野御幸の際の御仮殿の跡と伝え、そばの太鼓屋敷と称する芝生は大塔宮熊野落の際の旧跡といい、大塔宮を祀る小祠がありましたが、現在は神社境内に移し、その跡に石標が建っています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
切目神社
かな
きりめじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
和歌山県日高郡印南町西ノ地328
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

切目驛の西北一粁半、切目村西地、東風早にある。五體王子宮と稱し、王子中で最も古來有名であつた切目王子の址である。舊社地は社殿の東鄰丘上にあり、社殿は天正中兵燹に炎上したのを、文祿元年再興する所と云ひ、後德川賴宣入國するに及んで社殿の修補什物の寄進等あり、社前に梛等を植ゑた。今、境內に膽八樹の老木がある。尙、神社の東北を御所屋敷と稱し、後鳥羽院熊野御幸の際の御假殿の址と傳へ、傍の太鼓屋敷と稱する芝生は大塔宮熊野落の際の舊址と云ひ、大塔宮を祀る小祠があつたが、今は神社境內に移し、その跡に石標が建つて居る。

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