大正のへそ

緯度標
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

播丹鉄道比延駅の北約1.5km、比延庄村上比延字芦谷にあり、緯度標と通称されていますが、実は経緯度交叉標です。敷地は線路の西数十歩、ここからも一段低い平地にあって方形を呈し、稲田で囲まれ、石柵を巡らし、南面に入口を設けてあります。中央から北に偏して高さ3mあまりの石標が建ち、その表面すなわち南面に東経百三十五度北緯三十五度交叉点海抜六十三米標識と刻まれ、左側面に為学制頒布五十周年記念、右側面に大正十二年十月多可郡教育会建之、裏面に測量者陸地測量手小野原次郎同大野幸太郎等の文字があります。経緯度の交叉を示すものは石標の前にある花崗岩柱の頂部における十字形で、この石柱の高さは約60cmもあります。石柵内にある松、モミジ、モッコク等の樹木は御成婚記念に植栽されたものです。石柵の外、入口に接近して白ペンキ塗木製の太い方柱の四面に、緯度標東経一三五度北緯三五度交叉点と黒字で記し、正面には度の字の代りに〇を用いてあります。この木柱は旅客の注意を惹くため播丹鉄道会社が大正14年(1925年)5月に建設したものです。それまでしばしばいわれた東経135度は測量が古くて、明石市の人丸山上にある子午線通過地識標が示す経度とは同一のものでありません。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
大正のへそ
かな
たいしょうのへそ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県西脇市上比延町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

播丹鐵道比延驛の北約一粁半、比延庄村上比延字芦谷にあり、緯度標と通稱されて居るが、實は經緯度交叉標である。敷地は線路の西方數十步、これよりも一段低い平地にあつて方形を呈し、稻田で圍まれ、石柵を繞らし、南面に入口を設けてある。中央より北に偏して高さ三米餘の石標が建ち、その表面卽ち南面に東經百三十五度北緯三十五度交叉點海拔六十三米標識と刻まれ、左側面に爲學制頒布五十周年記念、右側面に大正十二年十月多可郡敎育會建之、裏面に測量者陸地測量手小野原次郞同大野幸太郞等の文字がある。經緯度の交叉を示すものは石標の前にある花崗岩柱の頂部に於ける十字形で、この石柱の高さは約六〇糎もあらうか。石柵內にある松、紅葉、木斛等の樹木は御成婚記念に植栽されたものである。石柵の外、入口に接近して白ペンキ塗木製の太い方柱の四面に、緯度標東經一三五度北緯三五度交叉點と黑字で記し、正面には度の字の代りに〇を用ゐてある。この木柱は旅客の注意を惹くため播丹鐵道會社が大正十四年五月に建設したものである。上來屢々云つた東經百三十五度は測量が古くて、明石市の人丸山上にある子午線通過地識標が示す經度とは同一のものでない。

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