住吉大社

住吉神社[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南海電車阪堺線住吉公園下車、住吉町にあります。表筒男命、中筒男命、底筒男命を祀り、後に息長帯姫命(神功皇后)を合せ祀って四座としました。古来住吉大神と呼ばれ、摂津の一の宮です。神功皇后征韓の際に神の助けを得、凱旋の後にここに鎮祭されました。以来朝廷からの崇敬が厚く延喜の制名神大社に列し、後に22社のひとつとなりたびたび奉幣されました。平城天皇、平安時代の大同元年(806年)の頃に遣唐使の祈祷があってから、以後外国に向かう者は必ず幣帛を奉って海路の守護を祈り、航海業者の崇信深く、また中古以来和歌の神として歌人にも尊崇されました。

社殿[国宝] 第一殿から第四殿の四棟からなり、反橋(太鼓橋)を渡り表門を入れば正面に第三殿があり、表筒男命を祭り、後方に第二殿が並び建ち中筒男命を祭り、その奥に第一殿があり底筒男命を祭ります。また第三殿の向かって右に第四殿があって息長帯姫命を祭ります。四棟とも構造は同一で、江戸時代中期の宝永5年(1708年)の改築ですが、上代の設計と様式を伝えたいわゆる住吉造であるといいます。本殿の前にある切妻両流造の拝殿は、丁字形に建ち、合の間をもって本殿と連絡し、本殿の左右および後面に板垣を巡らせ、その外に瑞垣があります。本殿は屋根左右両流直線式で、大きな箱棟上に千木、鰹木を置き、軒は木割の大きな直線式の一軒繁棰を分布し、太い円柱直接梁桁を支持し、各殿共妻を正面とし、桁行四間、梁間二間、屋根檜皮葺、羽目板壁および棰間は白亜塗として、ほかは丹塗とし板唐戸を用い、柱脚深く地中に立ち、内部は住吉造の特徴である前方二間二面を外陣、後方二間二面を内陣となし、内陣後方の中央に神座があります。大社造が進歩して大鳥造となり、さらにそれに変化を加えたもので、内外陣に深さを増して各柱間二間となった点が大鳥造と異なっていますが、始終直線形をもってその輪廓を表したのは、大社大鳥両造とともに古代的建築の特徴を表し、白亜の壁、朱色鮮かな瑞垣とともに、極めて森厳な感があります。

社宝の太刀一口は守家の銘があり、初代守家の作と思われ、作者独特の華かな丁字刄をもち、国宝に指定されています。

境内は広く老楠巨松が繁茂し、多数の石灯籠には寛永、貞享、元禄等の銘の残るものもあります。神社の前面は松原で住吉公園となり、西300mに高灯籠があります。もと長峡浦と呼ぶ海浜で、航海者の目標となった御神灯です。玉出島は本社の西北にあり、丘島状となり、摂社大海神社、また摂社船玉神社は本社の南にあってともに式内の古社です。

例祭は6月30日、8月1日は神輿の渡御があり、行列が壮観です。また5月上卯日は卯葉祭あり、6月14日に御田植の神事があり、10月17日には宝の市と称する祭があります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
住吉大社 住吉大社境内平面図

令和に見に行くなら

名称
住吉大社
かな
すみよしたいしゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

南海電車阪堺線住吉公園下車、住吉町にある。表筒男命、中筒男命、底筒男命を祀り、後に息長帶姬命(神功皇后)を合せ祀りて四座とした。古來住吉大神と稱し、攝津の一の宮である。神功皇后征韓の時神佑著しく、凱旋の後ちこゝに鎭祭せられた。歷朝の崇敬厚く延喜の制名神大社に列し、後ち廿二社の一となつて奉幣度々に及んだ。平城天皇大同元年遣唐使の御祈りありてより、以後外國に使するもの必ず幣帛を奉りて海路の守護を祈り、航海業者の崇信深く、また中古以來和歌の神として歌人に尊崇せられた。

社殿[國寶] 第一殿から第四殿の四棟から成り、反橋(太鼓橋)を渡り表門を入れば正面に第三殿あり、表筒男命を祭り、後方に第二殿竝び建ち中筒男命を祭りその奧に第一殿あり底筒男命を祭る。また第三殿の向つて右方に第四殿ありて息長帶姬命を祭る。四棟共構造同一で、寶永五年の改築であるが、上代のプランと樣式を傳へた所謂住吉造であると云ふ。本殿の前に切妻兩流造の拜殿、丁字形に建ち、合の閒を以て本殿と連絡し、本殿の左右及び後面に板垣を繞し、その外に瑞垣がある。本殿は屋根左右兩流直線式で、大きな箱棟上に千木、鰹木を置き、軒は木割の大きな直線式の一軒繁棰を分布し、太き圓柱直接梁桁を支持し、各殿共妻を正面とし、桁行四閒、梁閒二閒、屋根檜皮葺、羽目板壁及び棰閒は白堊塗となし、他は丹塗とし板唐戶を用ゐ、柱脚深く地中に立ち、內部は住吉造の特徵である前方二閒二面を外陣、後方二閒二面を內陣となし、內陣後方の中央に神座がある。蓋し大社造が進步して大鳥造となり、更にそれに變化を加へたもので、內外陣に深さを增して各柱閒二閒となつた點が大鳥造と異つて居るが、始終直線形を以てその輪廓を表はしたのは、大社大鳥兩造と共に古代的建築の特徵を表はし、白堊の壁、朱色鮮かな瑞垣と共に、極めて森嚴な感を有する。

社寶の太刀一口は守家の銘あり、初代守家の作と思はれ、作者獨特の華かな丁字刄を有し、國寶に指定されて居る。

境內廣く老楠巨松繁茂し、多數の石燈籠には寬永、貞享、元祿等の銘の存するものあり。神社の前面は松原で住吉公園となり、西方三〇〇米に高燈籠がある。もと長峽浦と呼ぶ海濱で、航海者の目標となつた御神燈である。玉出島は本社の西北にあり、丘島狀をなし、攝社大海神社あり攝社船玉神社は本社の南にあつて共に式內の古社である。

例祭は六月三十日、八月一日は神輿の渡御あり、行列盛觀である。また五月上卯日は卯葉祭あり、六月十四日に御田植の神事あり、十月十七日には寶の市と稱する祭がある。

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