天下茶屋

天下茶屋
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南海電車阪堺線天神の森下車、天下茶屋町にあります。安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)豊臣秀吉が住吉詣の帰途、この地の芽木氏の邸内にある清泉を掬んで立てた茶を賞美したので、はじめ殿下茶屋と呼んだものが、のち天下茶屋となったといいます。茶室は二畳敷、北側は壁で三方庭に面し、覆屋を設けて保存され、そばに井戸の跡も残っています。ここは慶長14年(1609年)備前宇喜多家の家老林玄蕃の子重治郎源次郎の兄弟が、父の仇当麻三郎右衛門を討ったところです。付近に安養寺と呼ぶ寺があり、芽木家の墓があります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
天下茶屋
かな
てんがちゃや
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失しました。地名としての天下茶屋地区より少し南にあり、跡地は「天下茶屋史跡公園」となっています。

日本案内記原文

南海電車阪堺線天神の森下車、天下茶屋町にある。天正年閒豐臣秀吉住吉詣の歸途、この地の芽木氏の邸內にある淸泉を掬んで立てた茶を賞美したので、はじめ殿下茶屋と呼んだのが、のち天下茶屋となつたと云ふ。茶室は二疊敷、北側は壁で三方庭に面し、覆屋を設けて保存され、傍に井戶の跡も遺つて居る。こゝは慶長十四年備前宇喜多家の家老林玄蕃の子重治郞源次郞の兄弟が、父の仇當麻三郞右衞門を討つた處である。附近に安養寺と呼ぶ寺あり、芽木家の墓がある。

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