大念仏寺

大念佛寺[融通念佛宗總本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

関西本線平野駅の南300m、平野上町にあります。良忍上人(聖応大師)の開宗となる融通念仏宗の根本道場です。良忍は尾張知多郡の生まれで、幼い頃から比叡山に登って研学しましたが、煩悩を捨てられないことを嘆き、大原に隠棲すること20年あまり、いつも読経念仏しながら月日を送り、平安時代の永久5年(1117年)ついに融通念仏の教えを受けたといいます。これがこの宗の起原です。天治元年(1124年)管簿を携えて都に入り、鳥羽上皇を始め多くの公卿を融通念仏に入らせ、諸国を巡化し、この地に融通大念仏寺を開き民衆を教化しました。これより念仏の行が大いに盛んとなりました。天承2年(1132年)61歳で没しました。第七世法明が鎌倉時代の元亨元年(1321年)に再興してから宗風は大いに栄えましたが、その後再三火災に遭い、江戸時代に建立した諸堂も、明治31年(1898年)本堂、阿弥陀堂、霊明殿、御影堂など20あまりの堂宇を焼失し、現存の建物は大部分その後の建築です。毘沙門堂は江戸時代後期の寛政11年(1799年)の再建で現在は仮本堂となり、円通殿、羅漢堂、経蔵、地蔵堂、鐘楼堂、宝蔵、待宝殿、別時寮、骨堂などがあります。寺宝の紙本墨書毛詩鄭箋零本(周南関雎篇)一巻は国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
大念仏寺
かな
だいねんぶつじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府大阪市平野区平野上町1-7-26
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

關西本線平野驛の南三〇〇米、平野上町にある。良忍上人(聖應大師)の開宗にかゝる融通念佛宗の根本道場である。良忍は尾張知多郡より出で、幼にして比叡山に登り硏學したが、出離の要道を得ざるを歎じ、大原に隱棲すること二十餘年閒、常住不臥にして經行月日を送り、永久五年終に融通念佛の示誨を受けたと云ふ。これがこの宗の起原である。天治元年管簿を携へて京師に入り、鳥羽上皇を始め公卿百官を融通念佛に入らしめ、諸國を巡化し、この地に融通大念佛寺を開き民衆を敎化したこれより念佛の行大いに盛んとなつた。天承二年六十一歲で寂した。第七世法明元亨元年に再興してから宗風大いに振つたが、その後再三火災に遭い、江戶時代に建立した諸堂も、明治三十一年本堂、阿彌陀堂、靈明殿、御影堂等二十餘宇を燒失し、現存の建物は大部分その後の建築である。毘沙門堂は寬政十一年の再建で今假本堂となり、圓通殿、羅漢堂、經藏、地藏堂、鐘樓堂、寶藏、待寶殿、別時寮、骨堂等がある。寺寶の紙本墨書毛詩鄭箋零本(周南關雎篇)一卷は國寶に指定されて居る。

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