侍塚古墳
昭和初期のガイド文
東野鉄道湯津上駅の南約3km、湯津上村字侍塚に位置し、県道の東側に2つの古墳があります。那須国造碑の南約1kmにあるものは「下侍塚」(旧称:下車塚)と呼ばれ、そのさらに南約800mの地点にあるものは「上侍塚」(上車塚)と呼ばれています。どちらも前方後円墳に属し、前方部を南に向けて横たわっています。上侍塚の全長は約98m、前方部の高さは約8m、後円部の高さは約14mです。墳丘上には松の木が生い茂り、周囲の濠跡は田んぼに変わっていますが、東側は埋められて松林となっています。一方、下侍塚の全長は約77m、前方部の高さは約7m、後円部の高さは約10mです。周囲の濠も田んぼと化し、墳丘上は一面松林となっています。これらの古墳はかつて那須国造の墓と推定されたことがありました。元禄年間(江戸時代、1688~1704年)、徳川光圀が真偽を確かめるために家臣に命じて発掘させました。その結果、上侍塚からは鏡、鉄鎧の破片、鉄鏃、土器などが、下侍塚からもほぼ同様のものが出土しましたが、確証は得られませんでした。
令和に見に行くなら
- 名称
- 侍塚古墳
- かな
- さむらいづかこふん
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 栃木県大田原市湯津上
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
同湯津上驛の南三粁、湯津上村字侍塚にあり、縣道の東側に當り、二箇所に古墳がある。那須國造碑の南一粁にあるを下侍塚と呼び(舊名下車塚)更にその南八〇〇米の地點にあるものを上侍塚(上車塚)と呼び、共に前方後圓墳に屬し、何れも前方部を南にして橫はつて居る。上侍塚は中軸九八米、前方部高さ八米、後圓部高さ一四米あり、墳上には松樹が茂つて居る。環湟の址は稻田になつて居るが、東側は埋まつて今松林となつて居る。下侍塚は中軸七七米、前方部高さ七米、後圓部高さ一〇米ある。周圍の環湟は稻田と化し、墳上は一面の松林となつて居る。兩古墳は曾て那須國造の墳墓に擬定せられたことがあつて、元祿年間德川光圀がその當否を確むるため、侍臣に命じて發掘せしめたが上侍塚からは鏡、鐵鎧の破片、鐵鏃、土器などを出し、下侍塚からも略々同樣のものを出したのみで確證を得なかつた。