那須国造碑

那須國造碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

[国宝] 東野鉄道湯津上駅の南約2km、湯津上村笠石にあり、笠石神社と称し、小さな祠に祀られています。この碑は頭部に石を乗せていることから、俗に「笠石」と呼ばれています。台座から笠石までの高さは約1.2m(3尺9寸)、上幅は42cm(1尺4寸)、下幅は48cm(1尺6寸)、厚さは38cm(1尺2寸6分)です。天武天皇4年(飛鳥時代、675年)に亡くなった那須直韋提のために建立されたもので、日本最古の石碑の一つとして知られています。正面には、六朝時代の古体文字で以下の文が刻まれています。

永昌元年己丑四月飛鳥浄御原大宮那須国造
追大壱那須直韋提評督被賜歳次庚子年正月
二壬子日辰節口故意斯麻呂等立碑銘偲云爾
仰惟殞公広氏尊胤国家棟梁一世之中重被貳
照一命之期連見再甦碎骨飛髄豈報前恩是以
曾子之家无有嬌子仲尼之門无有罵者行孝之
子不改其語銘夏堯心澄神照乾六月童子意香
助坤作徒之大合言喩字故無翼長飛无根更固

「永昌元年」は中国の年号で、日本では持統天皇の朱鳥3年(飛鳥時代、689年)に該当します。この年号が使用された理由については議論がありますが、碑文を撰んだ人物が帰化人だったためではないか、という説が有力です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
那須国造碑
かな
なすのくにのみやつこのひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県大田原市湯津上430
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[國寶] 同湯津上驛の南約二粁、湯津上村笠石にあり、笠石神社と稱し、小祠の中に祀られて居る。碑は頭上に一石を置くを以て俗に笠石と云ひ、臺石より笠石まで一米二(三尺九寸)上幅四二糎(一尺四寸)下幅四八糎(一尺六寸)厚三八糎(一尺二寸六分)天武天皇四年に歿した國造那須直韋提のために建てられたもので、わが國に於て最も著名な古碑の一にして、正面に六朝の古體文字で次の文が刻されて居る。

永昌元年己丑四月飛鳥淨御原大宮那須國造
追大壹那須直韋提評督被賜歲次庚子年正月
二壬子日辰節口故意斯麻呂等立碑銘偲云爾
仰惟殞公廣氏尊胤國家棟梁一世之中重被貳
照一命之期連見再甦碎骨飛髓豈報前恩是以
曾子之家无有嬌子仲尼之門无有罵者行孝之
子不改其語銘夏堯心澄神照乾六月童子意香
助坤作徒之大合言喩字故無翼長飛无根更固

永昌元年は支那の年號でわが持統天皇の朱鳥三年に該當して居る。何故支那の年號を使用したかに就いては議論があるが、それはこの文を撰んだものが歸化人であつたからであらうと云ふ說がある。

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