郷賢祠

鄕賢祠
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

竹原駅の東北1km、竹原町竹原小学校内にあります。江戸時代後期の天保年間(1830~1844年)頼杏坪の創唱により、その郷里にある磯宮八幡神社の境内に建設され、毎年3月20日に祭典が行われましたが、現在は竹原小学校に移され、毎年3月22日祭典が挙げられます。建物は石壇の上に建つ切妻造の小堂宇で、妻入です。祭神は江戸時代に親しく鄉党を指導誘披した竹原一鄉の先賢である唐崎辛斎、唐崎彦明、唐崎赤斎、寺本立軒、頼惟清、頼春風、塩谷道磧、吉井正伴、木村好賢、木村政信、笠井貞之、笠井貞直、菅葵斎、吉井元庸、村上貞之、吉井貞栄、本庄貞居、吉井豊庸、道工彦文、南維則の20人でしたが、明治時代に至って創設者頼杏坪、郷土教育者中村三理の2人を合祀しました。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
郷賢祠
かな
きょうけんし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
当時は竹原小学校の校庭にありましたが、現在は少し横に移動しています。
住所
広島県竹原市田ノ浦2-4
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

竹原驛の東北一粁、竹原町竹原小學校內にある。天保年閒賴杏坪の創唱に依り、その鄕里にある磯宮八幡神社の境內に建設せられ、每年三月二十日に祭典が行はれたが、現在は竹原小學校に移され、每年三月二十二日祭典が擧げられる。建物は石壇の上に建つ切妻造の小堂宇で、妻入である。祭神は江戶時代に親しく鄉黨を指導誘披した竹原一鄉の先賢たる唐崎辛齋、唐崎彥明、唐崎赤齋、寺本立軒、賴惟淸、賴春風、鹽谷道磧、吉井正伴、木村好賢、木村政信、笠井貞之、笠井貞直、菅葵齋、吉井元庸、村上貞之、吉井貞榮、本庄貞居、吉井豐庸、道工彥文、南維則の二十人であつたが、明治時代に至つて創設者賴杏坪、鄕土敎育者中村三理の二人を合祀した。

竹原のみどころ