能地の浮きダイ

能地の浮鯛
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

安芸幸崎駅の南、幸崎町能地の浅海すなわち能地堆では、毎年3月中旬四十八夜から5月初旬八十八夜に至る間、就中桃の節句大潮の中潮から満潮までに、タイが海面に浮び出ることが盛んです。

産卵のため瀬戸内海に移動して来るタイの一部は豊後水道、伊予灘を経て安芸灘に入り、三原瀬戸すなわち本土と高根島、大三島で囲まれた海面を西から東に進んで燧灘に至る際、本土、大三島間にある大久野島のため、2隊に分かれます。本土と大久野島の間を通るタイの一隊は大久野島と有竜島の間にある約4kmの能地堆を横切るにあたって、潮流のため深海から急にこの堆上に押上げられ、水圧が急激に減るので、タイの浮き袋は急に膨大し、タイは体を転倒して腹部を上にし海面に浮ぶものです。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
能地の浮きダイ
かな
のうぢのうきだい
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
現在ではほとんど見られないようです。

日本案内記原文

安藝幸崎驛の南方、幸崎町能地の淺海卽ち能地堆では、每年三月中旬四十八夜から五月初旬八十八夜に至る閒、就中桃の節句大潮の中潮より滿潮までに、鯛が海面に浮び出ることが盛である。

產卵の爲瀨戶內海に移動し來る鯛の一部は豐後水道、伊豫灘を經て安藝灘に入り、三原瀨戶卽ち本土と高根島、大三島で圍まれた海面を西より東に進んで燧灘に至る際、本土、大三島閒にある大久野島の爲、二隊に分れる。本土と大久野島の閒を通る鯛の一隊は大久野島と有龍島の閒にある約四粁の能地堆を橫切るに當つて、潮流の爲深海より急にこの堆上に押上げられ、水壓急激に減ずるので、鯛の鰾は俄然膨大し、鯛は體を轉倒して腹部を上にし海面に浮ぶものである。

竹原のみどころ