宇治茶

宇治茶
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京都建仁寺の開山栄西禅師が中国から茶子を将来して、栂尾の明恵上人に分与し、上人はこれを宇治に分植しました。宇治は気候、土質ともに茶樹の培養に適したので、足利氏以来の保護とあいまって、ついに「宇治は茶所」と呼ばれるようになりました。宇治茶は品質の優秀なことで名高く、煎茶を主とし、玉露、碾茶もあります。玉露用の茶樹は老樹がよいとして、樹齢の若い間は煎茶園とし、20年以上におよんで始めて玉露園に仕立てます。玉露園は摘葉前に覆いをかけて日光の直射を避け、これによって茶葉同化作用を妨げ、葉を鮮緑にし、甘味を増し、渋味を減じ、葉の硬化を防ぎ、特有の香味を生じさせます。覆いをかけた覆下茶園は煎茶園よりも面常が狭いです。

宇治に限らず、一般に山城地方では、製茶時期を2回に分け、一番茶は5月初旬、二番茶は6月下旬から製造され、いずれも20日間を要します。茶師は多く河内、大和、丹波の諸地方および近鄉から雇い入れます。玉露も煎茶も茶葉を揉んで製造されますが、碾茶は揉まないで、原形のまま乾かすものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
宇治茶
かな
うじちゃ
種別
食事・味覚
状態
現存し見学できる
備考
地図位置は、平安時代から続く茶屋という通圓の位置に置いておきます。
住所
京都府宇治市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京都建仁寺の開山榮西禪師が支那から茶子を將來して、栂尾の明惠上人に分與し、上人はこれを宇治に分植した。宇治は氣候、土質ともに茶樹の培養に適したので、足利氏以來の保護と相侯つて、遂に「宇治は茶所」と呼ばれる樣になつた。宇治茶は品質の優秀なので名高く、煎茶を主とし、玉露、碾茶もある。玉露用の茶樹は老樹を尊び、樹齡の若い閒は煎茶園とし、二十年以上に及んで始めて玉露園に仕立てる。玉露園は摘葉前覆架けを施して日光の直射を避け、これによつて、茶葉同化作用を妨げ、葉を鮮綠にし、甘味を增し、澁味を減じ、葉の硬化を防ぎ、特有の香味を生ぜしめる。覆架けをした覆下茶園は煎茶園よりも面常が狹い。

宇治に限らず、一般に山城地方では、製茶時期を二回に分ち、一番茶は五月初旬、二番茶は六月下旬から製造され、何れも二十日閒を要する。茶師は多く河內、大和、丹波の諸地方及び近鄉から傭入れる。玉露も煎茶も茶葉を揉んで製造されるが、碾茶は揉まないで、原形の儘乾かすのである。

宇治・京田辺のみどころ