宇治川
宇治川
昭和初期のガイド文
瀬田川の下流で、山城に入ってから宇治川といい、宇治京都を過ぎ淀に至って淀川となります。川上は峡流ですが、宇治橋付近からは平流となります。平安時代の寿永の頃(1182~1184年)この川で梶原景季、佐々木高綱が先陣を争ったことはよく知られたことです。その地点橘小島崎は宇治橋の北200mのところだといいます。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 宇治川
- かな
- うじがわ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府宇治市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
瀨田川の下流で、山城に入つてから宇治川と云ひ、宇治京都を過ぎ淀に至つて淀川となる。川上は峽流であるが、宇治橋附近からは平流となる。壽永の昔この川で梶原景季、佐々木高綱が先陣を爭つたことは世閒周知のことである。その地點橘小島崎は宇治橋の北二〇〇米のところだと云ふ。