肝付兼続の墓
肝付兼續墓
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
志布志町大慈寺海岸墓地の東側入口にあり、大きな五輪塔です。兼続は志布志の領主でしたが、島津氏の勢力におされて室町時代の永禄8年(1565年)11月自刃しました。その夫人阿南御前は島津忠良(日新)の息女で薩摩婦人の鑑と崇められた烈婦です。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 肝付兼続の墓
- かな
- きもつきかねつぐのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県志布志市志布志町志布志2-18-2
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
志布志町大慈寺海岸墓地の東側入口にあり、大きな五輪塔である。兼續は志布志の領主だつたが、島津氏の勢におされて永祿八年十一月自刃した。その夫人阿南御前は島津忠良(日新)の息女で薩摩婦人の鑑と崇められた烈婦である。