岩谷堂城跡

岩谷堂城址

昭和初期のガイド文

水沢駅の東北約8km、乗合自動車の便があります。岩谷堂町の東北端の丘上にあります。その東北は人首川の絶壁に望み、本丸、二丸枡形の跡があり、枡形のところには土塁池などが残っています。もと葛西氏の一族江刺氏の居館でしたが、江戸時代前期の寛文(1661~1673年)以後は伊達氏の一門岩城氏の居城となり明治維新におよびました。本丸跡に六面塔の供港碑があり、「延慶四年六月十五日」の願文があります。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
岩谷堂城跡
かな
いわやどうじょうあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岩手県奥州市江刺岩谷堂舘下
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東北約八粁、乘合自動車の便がある。岩谷堂町の東北端の丘上にある。その東北は人首川の絕壁に望み、本丸、二丸枡形の址があり、枡形の所には土壘池などが殘つて居る。もと葛西氏の一族江刺氏の居館であつたが、寬文以後は伊達氏の一門岩城氏の居城となり明治維新に及んだ。本丸跡に六面塔の供港碑があり、「延慶四年六月十五日」の願文がある。

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