駒形神社
駒形神社[國幣小社]
昭和初期のガイド文
水沢駅の西南1km、延喜式内の古社で駒形神を祀っています。もと駒形山の頂上にあって、ここはその里宮でしたが、明治36年(1903年)ここに遷座され、山上の社は奥宮となっています。古来農産物や馬のために祈願する人が多く、境内およびこれに接する水沢公園は桜が多く、園内には高野長英の碑があります。長英は水沢の人で、西洋の学問を紹介することに努力して幕府の忌諱に触れ、獄中の人となり、後に獄を脱し、江戸時代末期の嘉永3年(1850年)悲壮な最後を遂げました。なお彼の生れた水沢町小路には誕生碑が立っています。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 駒形神社
- かな
- こまがたじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 岩手県奥州市水沢中上野町1-83
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西南一粁、延喜式內の古社で駒形神を祀つて居る。もと駒形山の頂にあつて、こゝはその里宮であつたが、明治三十六年ここに遷座され、山上の社は奧宮となつて居る。古來農產物や馬のために祈願する者が多く、境內及これに接する水澤公園は櫻樹が多く、園內には高野長英の碑がある。長英は水澤の人で、西洋の學問を紹介することに努力して幕府の忌諱に觸れ、獄中の人となり、後獄を脫し、嘉永三年悲壯な最後を遂げた。尙彼の生れた水澤町小路には誕生碑が立つて居る。