平賀源内旧邸

平賀源內舊宅
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

志度駅の西約0.5km、志度町新町にあります。当時の家宅は残っていませんが、遺品若干を所蔵しています。源内はこの地に生まれ幼い頃から聡敏奇警、本草学を修め、江戸時代後期の宝暦11年(1761年)江戸に出で、物産の研精に傾注し、火浣布を製造して幕府に献上し、明和7年(1770年)長崎に遊学し和蘭本草を学び、電機、寒暖計、諸種の機械を製作しました。また鳩渓と号して稗史戯文に筆を染めましたが、思いがけず投獄され、安永8年(1779年)12月に江戸の獄中で没しました。大正13年(1924年)従五位を贈られました。墓は東京市浅草区橋場の総泉寺にあります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
平賀源内旧邸
かな
ひらがげんないきゅうてい
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
香川県さぬき市志度46-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

志度驛の西約半粁、志度町新町にある。當時の家宅は存しないが、遺品若干を所藏して居る。源內この地に生れ幼時より聰敏奇警、本草學を修め、寶曆十一年江戶に出で、物產の硏精に傾注し、火浣布を製して幕府に獻じ、明和七年長崎に遊び和蘭本草を學び、電機、寒暖計、諸種の機械を製作した。また鳩溪と號して稗史戲文に筆を染めたが、遇々事に觸れて獄に下り、安永八年十二月に江戶の獄中で歿した。大正十三年從五位を贈られた。墓は東京市淺草區橋場總泉寺にある。

志度・津田のみどころ