黒牟田錆谷窯(肥前陶器窯跡)
黑牟田錆谷窯址
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
三間坂駅の北東約7km、杵島郡武内村真手野黒牟田の山中に位置しています。途中までバスでアクセス可能です。文禄年間(安土桃山時代、1592年~1596年)の役後、佐賀藩主・鍋島直茂が帰国した朝鮮人陶工を領内に分散させて起業を促しました。その中で、長老宗伝をはじめとする陶工たちが、この山中で高麗焼を試みました。黒牟田から内田にかけて多くの窯跡が残されており、谷に面して造られた登り窯が階段状の構造を保っています。ここでは、椀や皿などの完形品や失敗作が発見されています。さらに、山中には「物原山」と呼ばれる谷間があり、ここには大量の廃棄された陶片が堆積しています。また、原料土の採取場所や釉薬原料の採取場所跡も残されています。
出土した遺物の一部は、武雄町の宮原家や真手野の山麓にある円楽寺に所蔵されています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 黒牟田錆谷窯(肥前陶器窯跡)
- かな
- くろむたさびたにかま(びぜんとうきかまあと)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 佐賀県武雄市武内町大字真手野24764
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
三間坂驛の東北約七粁、杵島郡武内村眞手野黑牟田の山中にあり、途中まで自動車の便がある。文祿役後佐賀藩主鍋島直茂、その伴ひ歸つた鮮人陶工を領內に分置起業せしめ、長老宗傳以下一團の陶工この山中に於て高麗燒を試み、黑牟田より內田に掛けて多くの窯址を遺した內の一つで、谷に臨んで造られた登り窯で階段狀をなし、よく舊態を存し、椀皿等の完形、變形、作り損じが發見せられる。尙山中に物原山と呼ばれ谷間に無數に堆積した所あり、また原料土採取場址、釉藥原料採取場址等も存する。
出土遺物の一部は、武雄町宮原氏及眞手野の山麓にある圓樂寺に所藏せられる。