興国寺

興國寺[臨濟宗妙心寺派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

紀伊由良駅の北1km、日高郡由良村門前にあります。鎌倉時代の安貞元年(1227年)に源実朝の菩提のためその近臣願性が建立したもので、法灯国師を開基としました。国師は建長年間(1249~1256年)宋に渡り、帰朝後この寺に住み、その後禅林寺および妙光寺を開きましたが、晩年再びこの寺に戻って永仁6年(1298年)92歳の高齢で没しました。寺は戦国兵乱中大いに荒廃しましたが、安土桃山時代の慶長年間(1596~1615年)藩主浅野氏によって再興され現在に古書画数百幅その他の寺宝を伝え、そのなかで法灯国師の木像および画像は国宝となっています。境内は山谷幽邃の地で、大門、仏堂、祖堂、鐘楼、地蔵堂等の堂宇が備わっていて、旧暦の盆祭には火振踊、灯籠焼が行われます。開山国師が尺八を業とする虚無僧を唐から伴い帰朝したため、虚無僧本寺として知られています。

境内には古の大門跡があり、礎石が左右各々3個ずつ遺存しています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
興国寺
かな
こうこくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
和歌山県日高郡由良町門前801
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

紀伊由良驛の北一粁、日高郡由良村門前にあり。安貞元年に源實朝の菩提の爲その近臣願性の建立したもので、法燈國師を開基とした。國師は建長年閒宋に渡り、歸朝後本寺に住み、その後禪林寺及妙光寺を開いたが、晚年再び本寺に戾つて永仁六年九十二歲の高齡で寂した。寺は戰國兵亂中大いに荒廢したが、慶長年閒藩主淺野氏によつて再興され今に古書畫數百幅その他の寺寶を有し、中に法燈國師の木像及畫像は國寶となつて居る。境內山谷幽邃の地で、大門、佛堂、祖堂、鐘樓、地藏堂等の堂宇が備つて居り、舊曆の盆祭には火振踊、燈籠燒が行はれる。開山國師が尺八を業とする虛無僧を唐から伴ひ歸朝した緣故で、虛無僧本寺として知られて居る。

境內に古の大門址があり、礎石が左右各々三個づつ遺存して居る。

由良・御坊のみどころ