銚子磯巡り

銚子磯巡り
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

利根河口、黒生、海鹿島、君ヶ浜、犬吠岬、酉明浜、外川、犬若を巡遊するもので銚子駅からは利根河口まで自動車、外川まで電車および自動車の便があります。利根河口からは1kmを隔てて西の対岸鹿島浦の砂浜の尖端を望み、北に鵜島、一ノ島、三ノ島などの岩礁を眺め、出入の漁船が見えます。ここに水難者供養のために送った千人塚があります。ここから東南に海岸を伝い行けば銚子測候所を右に見て、夫婦ヶ鼻の石門を望み、銚子無線電信局送信所に至ります。ここは明治41年(1908年)の開設で、日本無線電信局の最も古いものです。主として船舶局への送信をし、南は伊豆半島近海から北は金華山沖に至る間を、その通信区域としています。夫婦ヶ鼻から南に進めば黒生の海水浴場に至ります。付近には岩礁が多く、戌辰戦争に際し難破した美加保艦の記念碑がこの海浜に建っています。

さらに南進すれば伊勢路に至ります。その海上には海鹿島が横たわっています。古来アシカの群来したところと伝えられています。その南は犬吠岬に至るまでの間1kmあまりにわたる海浜で、背後には松林を背負い海水浴の適地です。ここを君ヶ浜と呼びます。

犬吠岬は石切ノ鼻とも呼ばれ砂岩を産出します。この岬の突端にある灯台は英人ジェームス・グリーンの監督の下に、明治7年(1874年)に建てられたもので、その水面からの高さ50m、30秒ごとに閃光を放って海上37kmを照らします。また霧警号の設備があります。毎日午前10時および午後2時に観覧できます。

犬吠岬の南には岩礁を前にして旅館が連なり、その南に酉明浜の砂浜があります。これを過ぎれば西南に長崎ノ鼻が突出します。外川の漁村はその西にあり、海上に千騎岩の巨岩が峙ち、集落の西端にあたり、海に近く弘法井と呼ばれる湧泉があります。砂岩の罅隙から来る地下水で、水量豊富、涸れることがないので有名です。その西の小半島を犬若と呼び、巨岩が犬の両耳のようにそびえています。ここから先は海岸の断崖が3kmにわたって連なっています。これを屏風浦といい、浜辺の通行は不可能です。外川の地には愛宕山と呼ばれる丘陵があり、展望に富んでいます。その北に無線電信局の受信所があります。利根河口から犬若まで約2km。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
銚子犬吠岬

令和に見に行くなら

名称
銚子磯巡り
かな
ちょうしいそめぐり
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
千葉県銚子市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

利根河口、黑生、海鹿島、君ケ濱、犬吠岬、酉明濱、外川、犬若を巡遊するもので銚子驛からは利根河口まで自動車、外川まで電車及自動車の便がある。利根河口からは一粁を隔てゝ西方對岸鹿島浦の砂濱の尖端を望み、北方に鵜島、一ノ島、三ノ島などの岩礁を眺め、出入の漁船を見る。こゝに水難者供養のために送つた千人塚がある。これより東南に海岸を傳ひ行けば銚子測候所を右にして、夫婦ケ鼻の石門を望み、銚子無線電信局送信所に至る。こゝは明治四十一年の開設で、わが國無線電信局の最も古いものである。主として船舶局への送信をなし、南は伊豆半島近海から北は金華山沖に至る閒を、その通信區域として居る。夫婦ケ鼻から南方に進めば黑生の海水浴場に至る。附近には岩礁多く、戊辰の役に際し難破した美加保艦の記念碑がこの海濱に建つて居る。

更に南進すれば伊勢路に至る。その海上には海鹿島が橫はる。古へ海鹿の群來した處と傳へられて居る。その南は犬吠岬に至るまでの閒一粁餘に亘る海濱で、背後には松林を負ひ海水浴の適地である。こゝを君ケ濱と稱する。

犬吠岬は一に石切ノ鼻と稱し砂岩を產する。この岬の突端にある燈臺は英人ジエームス、グリーンの監督の下に、明治七年に建てられたもので、その水面よりの高さ五〇米、三十秒每に一閃光を放ち海上三七粁(一九浬半)を照す。また霧警號の設備がある。每日午前十時及午後二時に縱覽を許す。

犬吠岬の南には岩礁を前にして旅館が連り、その南に酉明濱の砂濱がある。これを過ぐれば西南方に長崎ノ鼻が突出する。外川の漁村はその西方にあり、海上に千騎岩の巨岩が峙ち、部落の西端にあたり、海に近く弘法井と稱する湧泉がある。砂岩の罅隙から來る地下水で、水量豐富、涸れることがないので名高い。その西の小半島を犬若と稱し、巨岩が犬の兩耳の如く聳えて居る。これより先は海岸の斷崖三粁に亘りて連る。これを屏風浦と云ひ、濱邊の通行不可能である。外川の地には愛宕山と稱する丘陵があり、展望に富んで居る。その北方に無線電信局の受信所がある。利根河口から犬若まで約二粁。

銚子・成東のみどころ