花巻城跡
花卷城址(鳥谷ケ崎城)
昭和初期のガイド文
花巻駅の東約800m、丘陵の一角にあります。小学校の門のあるところが追手門跡です。城壁の大半および外濠がところどころに残っているので、その規模の雄大であったことがわかります。すなわち東西350m、南北400m、東は北上川に臨み、南に豊沢川、北に瀬川を控えた要害の地です。現在城址に小学校大運動場、鳥谷ヶ崎神社などがあり、岩手軽便鉄道は城址を貫通しています。城はもと稗貫氏のいたところで、安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)南部氏の領となり、利直はその子政直を封じました。その後城代を置いて知行させて明治維新におよびました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 花巻城跡
- かな
- はなまきじょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 岩手県花巻市城内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の東方約八百米、丘陵の一角にある。小學校の門のある所が追手門址である。城壁の大半及外濠が所々に殘つて居るので、その規模の雄大であつたことが判る。卽ち東西三五〇米、南北四〇〇米、東は北上川に臨み、南に豐澤川、北に瀨川を控へた要害の地である。今城址に小學校大運動場、鳥谷ケ崎神社などがあり、岩手輕便鐵道は城址を貫通して居る。城はもと稗貫氏の居た處で、天正年閒南部氏の領となり、利直はその子政直を封じた、その後城代を置いて知行せしめて明治維新に及んだ。