応神天皇陵
昭和初期のガイド文
誉田八幡の北に接し、古市町誉田にあります。俗に中山と呼び、北面して三段に築成した大前方後円墳です。前後径約384m、前方部の幅約300m、高さ約12m、後円部は径約230m、高さ約19m、規模は仁徳天皇陵に次いで、松樹森々として全墳に繁茂しています。周濠はもと二重に巡っていましたが、外濠は埋められ田となり、現在内濠のみが残っていますが、幅広く水深く、その外側を囲んでいる土塁には巨松が繁茂しています。周辺の丘や田圃には多数の陪塚があり、大陵を囲んでいます。東側に二つ塚、くり塚、馬塚等があり、西側にさんど塚、はさみ塚、ぐみ塚、墓山、むこ塚、あり山、東山、茶臼塚等があり、北にある丸山と呼ぶ一墳からは遺物が発掘され現在誉田八幡宮に所蔵されています。
皇后仲津姫命の陵である仲津山陵は応神天皇陵の北0.5kmにあり、允恭天皇陵との中間に位置し、西南面した前方後円墳で松樹密生し、周濠あり、陪塚は南端の辺に小円墳3基、東西に並んで俗に三ツ山と呼ばれます。なお允恭天皇陵との間に6基の小円墳があり、ひとつを長持山と呼び明治8~9年頃発掘され、墳上に石棺が2個露出しています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 応神天皇陵
- かな
- おうじんてんのうりょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 大阪府羽曳野市誉田6
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
譽田八幡の北に接し、古市町譽田にある。里俗中山と呼び、北面して三段に築成した大前方後圓墳である。前後徑約三八四米、前方部の幅約三〇〇米、高約一二米、後圓部は徑約二三〇米、高約一九米、規模、仁德天皇御陵に次ぎ、松樹森々として全墳に繁茂して居る。周濠はもと二重に繞つて居たが、外濠は塡まつて田となり、今內濠のみを存して居るが、幅廣く水深く、その外側を繞つて居る土壘には巨松が蕃茂して居る。陵邊の丘隴及び田圃中には幾多の陪塚存し、大陵を繞つて居る。東側に二つ塚、くり塚、馬塚等あり、西側にさんど塚、はさみ塚、ぐみ塚、墓山、むこ塚、あり山、東山、茶臼塚等あり、北方にある丸山と呼ぶ一墳からは曾て遺物を發掘して今譽田八幡宮に所藏されて居る。
皇后仲津姬命の御陵仲津山御陵は應神天皇御陵の北半粁にあり、允恭天皇御陵との中閒に位し、西南面した前方後圓墳で松樹密生し、周濠あり、陪塚は南端の邊に小圓墳三基、東西に竝び里俗三ツ山と稱する。尙允恭天皇御陵との閒に六基の小圓墳あり、一を長持山と稱し明治八、九年頃發掘され、墳上に石棺が二個露出して居る。
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