大田南畝の墓
太田南畝の墓
昭和初期のガイド文
市内電車指ヶ谷町停留場の西北、原町本念寺の墓地にあります。南畝は幕臣で蜀山人と号し、狂句狂歌を得意としたことで名高く、また博識で著書が多くあります。江戸時代後期の文政6年(1823年)75歳で没しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大田南畝の墓
- かな
- おおたなんぽのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都文京区白山4-34-7 本念寺内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車指ケ谷町停留場の西北、原町本念寺の墓地にある。南畝は幕臣で蜀山人と號し、狂句狂歌をよくしたので名高く、またその學該博にして著書が多い。文政六年七十五歲で歿した。