関口芭蕉庵跡
關口芭蕉庵址
昭和初期のガイド文
市内電車関日町停留場の北、旧神田上水のかたわらにあり、江戸時代前期の承応年間(1652~1655年)上水工事の際に松尾芭蕉が工事に携わってここに来訪し、その付近の風光を讃えたということです。後にここに芭蕉の「五月雨に隠れぬものよ瀬田の橋」の短冊を埋めて碑を建て、五月雨塚と称し、そのかたわらに庵室を設け芭蕉庵と名付けました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 関口芭蕉庵跡
- かな
- せきぐちばしょうあんあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 現在の建物は戦後の再建です。
- 住所
- 東京都文京区関口2-11-3
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車關日町停留場の北方、舊神田上水の傍にあり、承應年閒上水工事の際松尾芭蕉がその事に與りてこゝに往來し、その附近の風光を賞したので、後人こゝに芭蕉の「五月雨に隱れぬものよ瀨田の橋」の短冊を埋めて碑を建て、五月雨塚と稱し、その傍に庵室を設け芭蕉庵と稱した。