高梁町
高梁町
昭和初期のガイド文
高梁川の東岸に立ち、北に名山臥牛山を背負います。備中北部の中心地、板倉氏の旧城下でもと松山と称しましたが明治2年(1869年)高梁と改めました。人口は1万人。
町の北部臥牛山に松山城址があり、高梁川は舟遊びができます。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 高梁町
- かな
- たかはしまち
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 合併により高梁市となっています。
- 住所
- 岡山県高梁市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
高梁川の東岸に立ち、北に名山臥牛山を背ふ。備中北部の中心地、板倉氏の舊城下でもと松山と稱したが明治二年高梁と改めた、人口一萬。
町の北部臥牛山に松山城址があり、高梁川は舟遊びが出來る。