義民の碑
義民の碑
昭和初期のガイド文
阪神電鉄甲子園の東北200m、鳴尾村上鳴尾の浄願寺境内にあります。この村は古来から水に乏しく、安土桃山時代の天正13年(1585年)村民25名が枝川の河底に暗渠を造り、瓦林村新川の水を無断で引き、罰せられて亡くなりました。土地の人たちは現在に至るまで義民と称し、毎年追弔会を催しています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 義民の碑
- かな
- ぎみんのひ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 「北郷開樋殉難者之碑」として今も浄願寺内にあります。北の北郷公園にある義民碑は後年に立てられた別のものです。
- 住所
- 兵庫県西宮市甲子園六番町10-18
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
阪神電鐵甲子園の東北二〇〇米、鳴尾村上鳴尾淨願寺境內にあり、本村は古來水利乏しく、天正十三年村民二十五名竊に枝川の河底に暗渠を通じ、瓦林村新川の水を引き、遂に罪せられて死んだ。鄕黨今に至るまで義民と稱し、每年追弔會を催す。