浄楽寺

淨樂寺[淨土宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

逗子駅の南約9km、西浦村芦名にあり、自動車の便があります。鎌倉時代の文治5年(1189年)和田義盛の建立した七阿弥陀堂の第二とし、寂恵上人を中興としています。本堂に寄木造阿弥陀三尊の像が安置されています。中尊は結跏跌坐の像で高さ1mあまり、形相は阿弥陀仏というよりもむしろ薬師如来に近いもので衣紋の刻出に強い趣があり、藤原末期に行われた一派の様式を思わせます。左右の脇侍は立像で高さ各約1.5m、両方とも内側の手を下げ他方をあげて蓮枝を持ち、少しく腰をねじって体を内側に傾けています。惜しいことには後世に漆箔を塗替えたため本来の面目を損なっているものがあります。

三尊いずれも製作優秀にして鎌倉時代の雄健なる特徴を存し国宝に指定されています。なお中尊の胎内には一面に梵字の墨書があり、200体あまりの弥陀の小仏が納められているといいます。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
浄楽寺
かな
じょうらくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県横須賀市芦名2-30-5
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の南約九粁、西浦村芦名にあり、自動車の便がある。文治五年和田義盛の建立した七阿彌陀堂の第二と稱し、寂惠上人を中興とす。本堂に寄木造阿彌陀三尊の像が安置されて居る。中尊は結跏跌坐の像で高さ一米餘(約三尺三寸)、形相は阿彌陀佛といふよりも寧ろ藥師如來に近いもので衣紋の刻出に强い趣を有し、藤原末期に行はれた一派の樣式を思はせる。左右の脇侍は立像で高さ各約一米半(五尺餘)、兩方とも內側の手を下げ他方をあげて蓮枝を持ち、少しく腰をねぢり體を內方に傾けて居る。惜しい事には後世漆箔を塗替へたため本來の面目を損するものがある。

三尊何れも製作優秀にして鐮倉時代の雄健なる特徵を存し國寶に指定されて居る。尙中尊の胎內には一面に梵字の墨書があり、二百餘體の彌陀の小佛が納められて居ると云ふ。

逗子のみどころ