間宮林蔵の墓
閒宮林藏墓
昭和初期のガイド文
市内電車霊厳町停留場の東南、浄心寺にあります。林蔵は常陸の人で、江戸時代後期の文化年中(1804~1818年)蝦夷から樺太およびその対岸に渡り、辺境の地理を踏査したことで知られています。弘化2年(1845年)65歳で没しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 間宮林蔵の墓
- かな
- まみやりんぞうのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都江東区平野2-7-8
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車靈嚴町停留場の東南淨心寺にある。林藏は常陸の人で、文化年中蝦夷より樺太及その對岸に渡り、邊境の地理を踏査したので知られて居る。弘化二年六十五歲で歿した。