被服廠跡
被服廠址
昭和初期のガイド文
市内電車石原町下車、本所区横網町にあり、陸軍省被服廠が撤去された後は空地となっていましたが、大正12年(1923年)9月の大震火災の際数万の市民がここに避難し、焼死した方が無数にありました。今その納骨堂があり、震災記念堂が建築中です。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 被服廠跡
- かな
- ひふくしょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 完成した震災記念堂は、後に東京大空襲の犠牲者も合祀し、東京都慰霊堂と改称されています。敷地は都立の横網町公園となっています。
- 住所
- 東京都墨田区横網2-3-25
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車石原町下車、本所區橫網町にあり、陸軍省被服廠の取除かれた後空地となつて居たが、大正十二年九月の大震火災の際數萬の市民はこゝに避難し、燒死したものが無數であつた。今その納骨堂があり、震災記念堂が建築中である。