二本松城跡
二本松城址
昭和初期のガイド文
二本松駅の西北約1km、城山の麓に石垣が整然として遺っています。この城は江戸時代前期の寛永20年(1643年)丹羽光重の居城となり子孫相継いで明治維新に至りました。城址に明治6年(1873年)創業の製糸工場の跡があり、その一隅には丹羽氏の庭園が残っています。山の頂には畠山氏の居城の跡があります。城址の東に「戒石銘」と称する巨岩があります。その面に「爾俸爾禄民膏民脂、下民易虐上天難欺、寛永己巳之年春三月」と刻してあります。これは儒者岩井田希夷が訓誡として掲示したものといいます。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 二本松城跡
- かな
- にほんまつじょうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県二本松市郭内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西北約一粁、城山の麓に石垣が整然として遺つて居る。この城は寬永二十年丹羽光重の居城となり子孫相繼いで明治維新に至つた。城址に明治六年創業の製絲工場の址があり、その一隅には丹羽氏の庭園が殘つて居る。山の頂には畠山氏の居城の址がある。城址の東方に「戒石銘」と稱する巨岩がある。その面に「爾俸爾祿民膏民脂、下民易虐上天難欺、寬永己巳之年春三月」と刻してある。これは儒者岩井田希夷が訓誡として揭示したものと云ふ。